磨《はりま》、東は三河にまで行ったことは、証《しょう》があって分明するから、猶《なお》遠く西へも東へも行ったかと想われる。其の播磨へ行った時の事である。これは堂塔|伽藍《がらん》を建つることは、法《のり》の為、仏の為の最善根であるから、寂心も例を追うて、其のため播磨の国に行《ゆ》いて材木勧進をした折と見える。何処《いずこ》の町とも分らぬが、或処で寂心が偶然《ふと》見やると、一人の僧形の者が紙の冠を被《き》て陰陽師《おんようじ》の風体を学び、物々しげに祓《はらえ》するのが眼に入った。もとより陰陽道を以て立っている賀茂の家に生れた寂心であるから、自分は其道に依らないで儒道文辞の人となり、又其の儒を棄て仏《ぶつ》に入って今の身になってはいるものの、陰陽道の如何なるものかの大凡《おおよそ》は知っているのである。陰陽道は歴緯に法《のっと》り神鬼を駆ると称して、世俗の為に吉を致し凶を禳《はら》うものである。儒より云えば巫覡《ふげき》の道、仏より云えば旃陀羅《せんだら》の術である。それが今、かりにも法体《ほったい》して菩提《ぼだい》の大道《たいどう》に入り、人天の導師ともならんと心掛けたと見ゆる者が
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