《じゅ》し経を読む頃には、感動に堪えかねて涕泣《ていきゅう》せざる者無く、此日出家する者も甚だ多く、婦女に至っては車より髪を切って講師に与うる者も出来たということである。席には無論に匡衡も参していたろう、赤染右衛門も居たろう。ただ彼の去られた妻が猶《なお》生きていて此処の参集に来合せたか否やは、知る由も無い。
寂照が去った其翌年の六月八日に、寂心が止観を承《う》けた彼の増賀は死んだ。時に年八十七だったという。死に近づいた頃、弟子共に歌をよませ、自分も歌をよんだが、其歌は随分増賀上人らしい歌である。「みづはさす八十路《やそじ》あまりの老《おい》の浪くらげの骨《ほね》にあふぞうれしき」というのであった。甥の春久《しゅんきゅう》上人という竜門寺に居たのが、介抱に来ていた。増賀は侍僧《じそう》に、碁盤を持《も》て来いと命じた。平生、碁なぞ打ったことの無い人であるので、侍僧はあやしく思ったが、これは仏像でも身近く据えようとするのかと思って取寄せて、前に置くと、我を掻《か》き起せ、という。侍僧が掻き起すと、碁一局打とう、と春久に挑んだ。合点のゆかぬことだとは思ったが、怖ろしい人の云うことだから、
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