あろうか。何故然様いう夢を見たのであろうか。むかし呂洞賓《りょどうひん》という仙人は、仙道成就しても天に昇ったきりにならずに、何時迄も此世に化現遊戯《けげんゆげ》して塵界《じんかい》の男女《なんにょ》貴賎を点化したということで、唐から宋へかけて処処方方に詩歌だの事跡だのを遺して居り、宋の人の間には其信仰が普遍で、既に蘇東坡《そとうば》の文にさえ用いられているし、今でも法を修《しゅ》して喚べば出て来ると思われている。我邦でも弘法大師は今に存在して、遍路の行者とまでも云えない世の常の大師まいりをする位の者の間にも時によりて現われて、抜苦与楽転迷開悟の教を垂れて下さるという俗間信仰がある。いや其様《そん》なことを云うまでもなく、釈迦《しゃか》にさえも娑婆|往来《おうらい》八千返《はっせんぺん》の談《はなし》があって、梵網経《ぼんもうきょう》だか何だったかに明示されている。本来を云えば弥陀《みだ》なり弥勒《みろく》なり釈迦《しゃか》なりを頼んで、何かムニャムニャを唱えて、そして自分一人極楽世界へ転居して涼しい顔をしようと云うのは、随分虫のいいことで、世の諺《ことわざ》に謂《い》う「雪隠《せっち
前へ
次へ
全120ページ中103ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング