篇ばかりの文、往生極楽記などを遺したに過ぎないで終ったが、当時の人の心界に対して投げた此人の影は、定基を点化《てんけ》した一事に照しても明らかであった。そこで此人の往生に就ても面白い云伝えが残っている。普通の信心深い仏徒や居士の終りには、聖衆来迎《しょうじゅらいごう》、紫雲音楽めでたく大往生というのが常である。それで西方|兜率天《とそつてん》か何処か知らぬが遠いところへ移転したきりというのが定《き》まりであるが、寂心の事を記したのは、それで終っていない。東山如意輪寺で型の如くに逝《ゆ》いた後、或人が夢みた。寂心上人は衆生を利益せんがために、浄土より帰りて、更に娑婆《しゃば》に在《いま》すということであった。かかることが歴然と寂心上人伝に記されているのである。わざわざ誰とも知れぬ人の何時の夢とも知れぬ夢などを死後の消息として書いてあるのは希有《けう》なことである。しかし其夢が、夢中に寂心上人が現われて自分で然様語ったのを聞いたのだか、其人が然様した上人の生れかわり、又は仙人の影法師かのようなものに遇ったというのだか、何だか分らずに朦朧《もうろう》と書いてある。一体これは何様いうことなので
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