滋という姓があったのでも無く、古い書に伝えてあるように他家の養子となって慶滋となったのでも無く、兄に遜《ゆず》るような意から、賀茂の賀の字に換えるに慶の字を以てし、茂の字に換えるに滋の字を以てしたのみで、異字同義、慶滋はもとより賀茂なのである。よししげの保胤などと読む者の生じたのも自然の勢ではあるが、後に保胤の弟の文章《もんじょう》博士保章の子の為政が善滋《かも》と姓の字を改めたのも同じことであって、為政は文章博士で、続本朝文粋《しょくほんちょうもんずい》の作者の一人である。保胤の兄保憲は十歳|許《ばかり》の童児の時、法眼《ほうげん》既に明らかにして鬼神を見て父に注意したと語り伝えられた其道の天才であり、又保胤の父の忠行は後の人の嘖々《さくさく》として称する陰陽道の大《だい》の験者《げんざ》の安倍晴明《あべのせいめい》の師であったのである。此の父兄や弟や姪《おい》を有した保胤ももとより尋常一様のものでは無かったろう。
保胤の師の菅原文時は、これも亦一通りの人では無かった。当時の文人の源|英明《ひであき》にせよ、源為憲にせよ、今|猶《なお》其文は本朝文粋にのこり、其才は後人に艶称さるる
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