あさましい香であったろう。死に近づいている人の口臭は他の何物にも比べ難い希有《けう》の香のするもので、俗に仏様くさいと云って怖れ忌むものであるが、まして死んでから幾日か経ったものの口を吸ったのでは、如何に愛着したものでも堪らなかったろう。然し定基は流石《さすが》に快男児だった、愛も痴もここまでに到れば突当りまで行ったものだった。其時その腐りかかった亡者が、嬉しゅうござんす定基さん、と云って楊枝《ようじ》のような細い冷い手を男の頸《くび》に捲《ま》きつけて、しがみ着いて来たら何様《どう》いうものだったか知らぬが、自然の法輪に逆廻りは無かったから、定基はあさましい其香に畏《おそ》れ戦《おのの》いて後へ退《すさ》ったのである。人間というものは変なもので、縁もゆかりも無い遠い海の鰹《かつお》や鮪《まぐろ》の死骸などは、嘗《な》めて味わって噛んで嚥《の》んで了うのであるから、可愛いい女の口を吸うくらい、当りまえ過ぎるほど当りまえであるべきだが、然様は出来ないのである。ダーキーニなら、これは御馳走と死屍《しかばね》を食べも仕ようが、ダーキーニでは無かった定基は人間だったから後へ退って了ったのであった。ここを坊さんの虎関は、|会失[#レ]配《たま/\はいをうしなひ》、|以[#二]愛厚[#一]緩[#レ]喪《あいこうをもつてさうをゆるうし》、|因観[#二]九相[#一]《よりてきうさうをくわんじ》、|深生[#二]厭離[#一]《ふかくをんりをしやうず》、と書いているが、それは文飾が届き過ぎて事実に遠くなっている。九相《きゅうそう》は死人の変化道程を説いたもので、膨張相《ぼうちょうそう》、青※[#「やまいだれ+於」、第3水準1−88−48]《せいお》相、壊《え》相、血塗《けっと》相、膿瀾《のうらん》相、虫※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]《ちゅうかん》相、散相、骨相、土相をいうので、何も如何に喪を緩うしたとて、九相を観ずるまで長く葬らずに居たのでは無い、大納言の「口を吸ひたりけるに」の方が遥かに好い文である。そこで定基は力寿を葬ってしまった。葬という字は、死屍を、上も草なら下も草、草むらの中に捨てて了うことであり、ほうむるという言葉は、抛《ほう》り放つことで、野か山へ抛り出して終うのである。何様も致しかたの無い人の終りは、然様するか然様されるのが自然なのである。生相憐み、死相|捐《
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