参議|橘恒平《たちばなのつねひら》の子で、四歳の時につきものがしたように、叡山に上《のぼ》って学問をしよう、と云ったとか伝えられ、十歳から山へ上せられて、慈慧に就いて仏道を学んだ。聡明《そうめい》驚くべく、学は顕密を綜《す》べ、尤《もっと》も止観に邃《ふか》かったと云われている。真の学僧|気質《かたぎ》で、俗気が微塵《みじん》ほども無く、深く名利《みょうり》を悪《にく》んで、断岸絶壁の如くに身の取り置きをした。元亨釈書《げんこうしゃしょ》に、安和の上皇、勅して供奉《ぐぶ》と為す、佯狂垢汗《ようきょうこうかん》して逃れ去る、と記しているが、憚《はばか》りも無く馬鹿げた事をして、他に厭《いと》い忌まれても、自分の心に済むように自分は生活するのを可なりとした人であった。自分の師の慈慧が僧正に任ぜられたので、宮中に参って御礼を申上げるに際し、一山の僧侶《そうりょ》、翼従甚だ盛んに、それこそ威儀を厳荘にし、飾り立てて錬り行った。一体本来を云えば樹下石上にあるべき僧侶が、御尊崇下さる故とは云え、世俗の者共|月卿雲客《げっけいうんかく》の任官謝恩の如くに、喜びくつがえりて、綺羅《きら》をかざりて宮廷に拝趨《はいすう》するなどということのあるべきでは無いから、増賀には俗僧どもの所為が尽《ことごと》く気に入らなかったのであろう。衛府の大官が立派な長剣を帯びたように、乾鮭《からさけ》の大きな奴を太刀《たち》の如くに腰に佩《お》び、裸同様のあさましい姿で、痩《や》せた牝牛《めうし》の上に乗《のり》跨《また》がり、えらそうな顔をして先駆の列に立って、都大路の諸人環視の中を堂々と打たせたから、群衆は呆れ、衆徒は驚いて、こは何事と増賀を引《ひき》退《さが》らせようとしたが、増賀は声を※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]《はげ》しくして、僧正の御車の前駈《さきがけ》、我をさしおいて誰が勤むべき、と怒鳴った。盛儀も何様《どう》も散々な打壊《ぶちこわ》しであった。こういう人だったから、或立派な家の法会があって、請われて其処へ趣く途中、是は名聞《みょうもん》のための法会である、名聞のためにすることは魔縁である、と思いついたので、遂に願主と※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》りあい的|諍議《そうぎ》を仕出して終《しま》って、折角の法会を滅茶滅茶にして帰った。随分厄介といえば厄介な
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