あろうか。何故然様いう夢を見たのであろうか。むかし呂洞賓《りょどうひん》という仙人は、仙道成就しても天に昇ったきりにならずに、何時迄も此世に化現遊戯《けげんゆげ》して塵界《じんかい》の男女《なんにょ》貴賎を点化したということで、唐から宋へかけて処処方方に詩歌だの事跡だのを遺して居り、宋の人の間には其信仰が普遍で、既に蘇東坡《そとうば》の文にさえ用いられているし、今でも法を修《しゅ》して喚べば出て来ると思われている。我邦でも弘法大師は今に存在して、遍路の行者とまでも云えない世の常の大師まいりをする位の者の間にも時によりて現われて、抜苦与楽転迷開悟の教を垂れて下さるという俗間信仰がある。いや其様《そん》なことを云うまでもなく、釈迦《しゃか》にさえも娑婆|往来《おうらい》八千返《はっせんぺん》の談《はなし》があって、梵網経《ぼんもうきょう》だか何だったかに明示されている。本来を云えば弥陀《みだ》なり弥勒《みろく》なり釈迦《しゃか》なりを頼んで、何かムニャムニャを唱えて、そして自分一人極楽世界へ転居して涼しい顔をしようと云うのは、随分虫のいいことで、世の諺《ことわざ》に謂《い》う「雪隠《せっちん》で饅頭《まんじゅう》を食う」料簡《りょうけん》、汚い、けちなことである。証得妙果の境界《きょうがい》に入り得たら、今度は自分が其の善いものを有縁無縁の他人にも施し与えようとすべきが自然の事である。そこで菩薩《ぼさつ》となり仏となったものは化他《けた》の業にいそしむことになるのが自然の法で、それが即ち菩薩なり仏なりなのである。弥陀の四十八願、観音の三十三身、何様な苦労をしても、何様なものに身を為しても、一切世間を善くしたい、救いたい、化度《けど》したいというのが、即ち仏菩薩なので、何も蓮花《れんげ》の上にゆったり坐って百味の飲食《おんじき》に啖《くら》い飽《あ》こうとしているのが仏菩薩でも何でも無い。寂心は若い時から慈悲心牛馬にまで及んだ人である。それが出家入道して、所証日に深く、浄土は隣家を看るよりも近々と合点せられるに至ったのである。終《つい》には此世彼世を一[#(ト)]跨《また》ぎの境界に至ったのである。そこで昔はあれほど想い焦れた浄土も吾《わ》が手のものとなったにつけて、浄土へ行きっ切りとなろう気はなく、自然と娑婆《しゃば》へ往来しても化他の業を執ろうという心が湧上ったに疑無
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