ところはおよそ認められるが、小角が如何なるものであったかは伝説化したるその人において認めるほかはないのである。聖宝は密教の人である。小角は道家ではない。勿論道家と仏家は互に相奪っているから、支那において既に混淆しており、従って日本においても修験道の所為《しょい》など道家くさいこともあり、仏家が「九字」をきるなど、道家の咒《じゅ》を用いたり、符※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]《ふろく》の類を用いたりしている。神仏混淆は日本で起り、道仏混淆は支那で起り、仏法|婆羅門《ばらもん》混淆は印度で起っている。何も不思議はない。ただここでは我邦でいう所の妖術幻術は別に支那印度などから伝えた一系統があるのではなくて、字面だけの事だというのである。
 さて「げほう」というのになる。これは眩法《げんほう》か、幻法か、外法《げほう》か、不明であるが、何にせよ「げほう」という語は中古以来行われて、今に存している。増鏡《ますかがみ》巻五に、太政大臣|藤原公相《ふじわらきみすけ》の頭が大きくて大でこで、げほう好みだったので、「げはふとかやまつるにかゝる生頭《なまこうべ》のいること
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