と思って郊外に出るのであるが、実は沼沢林藪《しょうたくりんそう》の間を徐《おもむ》ろに行くその一歩一歩が何ともいえず楽しく喜ばしくて、歩※[#二の字点、1−2−22]に喜びを味わっているのである。何事でも目的を達し意を遂げるのばかりを楽しいと思う中《うち》は、まだまだ里《さと》の料簡である、その道の山深く入った人の事ではない。当下《とうげ》に即ち了《りょう》するという境界に至って、一石を下す裏に一局の興はあり、一歩を移すところに一日の喜《よろこび》は溢れていると思うようになれば、勝って本《もと》より楽しく、負けてまた楽しく、禽《とり》を獲て本より楽しく、獲ずしてまた楽しいのである。そこで事相《じそう》の成不成、機縁の熟不熟は別として一切が成熟するのである。政元の魔法は成就したか否か知らず、永い月日を倦《う》まず怠らずに、今日も如法に本尊を安置し、法壇を厳飾し、先ず一身の垢《あか》を去り穢《けがれ》を除かんとして浴室に入った。三業純浄《さんごうじゅんじょう》は何の修法にも通有の事である。今は言葉をも発せず、言わんともせず、意を動かしもせず、動かそうともせず、安詳《あんしょう》に身を清くし
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