荼枳尼も大日、他の諸天も大日、玄奥《げんおう》秘密の意義理趣を談ずる上からは、甲乙の分け隔てはなくなる故にとかくを言うのも愚なことであるが、先ず荼枳尼として置こう。荼枳尼天の形相、真言等をここに記するも益無きことであるし、かつまた自分が飯綱二十法を心得ているわけでもないから、飯綱修法に関することは書かぬが、やはり他の天部《てんぶ》夜叉部《やしゃぶ》等の修法の如くに、相伝を得て、次第により如法《にょほう》に修するものであろう。東京近くでは武州|高雄山《たかおさん》からも、今は知らぬが以前は荼枳尼の影像を与えたものである。諸国に荼枳尼天を祭ったところは少からずあるが、今その法を修する者はあるまい。まして魔法の邪法のといわれるものであるから、真に修法《じゅほう》する者は全くあるまいが、修法の事は、その利益功能のある状態や理合《りごう》を語ろうとしても、全然そういうことを知らぬ人に理解せしむることは先ず不可能であるから、まして批評を交えてなど語れるものではない。管狐《くだぎつね》という鼠ほどの小さな狐を山より受取って来て、これを使うなどということは世俗のややもすれば伝えることであるが、自分は知
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