い》の占《うらない》、九星《きゅうせい》の卜《ぼく》、皆それに続いている。それだけの談《はなし》さえもなかなか尽きるものではない。一より九に至るの数を九格正方内《きゅうかくせいほうない》に一つずつ置いて、縦線《じゅうせん》、横線《おうせん》、対角線、どう数えても十五になる。一より十六を正方格内に置いて縦線、横線、対角線、各隅《かくぐう》、随処四方角、皆三十四になる。二十五格内に同様に一より二十五までを置いて、六十五になる。三十六格内に三十六までの数を置いて、百十一になる。それ以上いくらでも出来ることである。が、その法を知らないで列《なら》べたのでは、一日かかっても少し多い根数《こんすう》になれば出来ない。古代の人が驚異したのに無理はないが、今日はバッチェット方法、ポイグナード方法、その他の方法を知れば、随分大きな魔方陣でも列べ得ること容易である。しかし魔方陣のことを談《かた》るだけでも、支那印度の古《いにしえ》より、その歴史その影響、今日の数学的解釈及び方法までを談れば、一巻の書を成しても足らぬであろう。極※[#二の字点、1−2−22]《ごくごく》小さな部分の中の小部分でもその通りだ。そういう訳だから、魔法の談《はなし》などといっても際限のないことである。
 我邦《わがくに》での魔法の歴史を一瞥して見よう。先ず上古において厭勝《まじない》の術があった。この「まじなう」という「まじ」という語は、世界において分布区域の甚《はなは》だ広い語で、我国においてもラテンやゼンドと連なっているのがおもしろい。禁厭《きんえん》をまじないやむると訓《よ》んでいるのは古いことだ。神代《じんだい》から存したのである。しかし神代のは、悪いこと兇なることを圧し禁《と》むるのであった。奈良朝になると、髪の毛を穢《きたな》い佐保川《さほがわ》の髑髏《どくろ》に入れて、「まじもの」せる不逞《ふてい》の者などあった。これは咒詛調伏《じゅそちょうぶく》で、厭魅《えんみ》である、悪い意味のものだ。当時既にそういう方術があったらしく、そういうことをする者もあったらしい。
 神おろし、神がかりの類は、これもけだし上古からあったろう。人皇《にんのう》十五、六代の頃に明らかに見える。が、紀記ともに其処《そこ》は仮託が多いと思われる。かみなびの神より板《いた》にする杉のおもひも過《すぎ》ず恋のしげきに、という万葉
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