得た将門は、轡《くつわ》を聯《つら》ね馬を飛ばして突撃した。下野勢は散※[#二の字点、1−2−22]に駈散《けち》らされて遁迷ひ、余るところは屈竟《くつきやう》の者のみの三百余人となつた。此時天意かいざ知らず、二月の南風であつたから風は変じて、急に北へとまはつた。今度は下野軍が風の利を得た。死生勝負此の一転瞬の間ぞ、と秀郷貞盛は大童《おほわらは》になつて闘つた。将門も馬を乗走らせて進み戦つたが、たま/\どつと吹く風に馬が駭《おどろ》いて立つた途端、猛風を負つて飛んで来た箭《や》は、はつたとばかりに将門の右の額に立つた。憐れむべし剛勇みづから恃《たの》める相馬小次郎将門も、こゝに至つて時節到来して、一期三十八歳、一燈|忽《たちま》ち滅《き》えて五彩皆空しといふことになつた。
 本幹|已《すで》に倒れて、枝葉|全《まつた》からず、将門の弟の将頼と藤原玄茂とは其歳相模国で斬《き》られ、興世王は上総へ行つて居たが左中弁将末に殺され、遂高玄明は常陸で殺されてしまひ、弟将武は甲斐《かひ》の山中で殺された。
 将門の女《むすめ》で地蔵尼《ぢざうに》といふのは、地蔵|菩薩《ぼさつ》を篤信したと、元亨釈
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