来る、負ければ怯気《おぢけ》はつく。将門の軍は日に衰へた。秀郷の兵は下総の堺、即ち今の境町まで十三日には取詰めた。敵を客戦の地に置いて疲れさせ、吾が兵の他から帰り来るを待たうと、将門は見兵《けんぺい》四百を率ゐて、例の飯沼のほとり、地勢の錯綜《さくそう》したところに隠れた。秀郷等は偽宮を焼立てゝ敵の威を削り気を挫《くじ》いた。十四日将門は※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]島郡の北山に遁《のが》れて、疾《と》く吾が軍来れと待ち望んで居た。大軍が帰つて来ては堪らぬから、秀郷貞盛は必死に戦つた。此の日南風急暴に吹いて、両軍共に楯《たて》をつくことも出来ず、皆ばら/\と吹倒されてしまつた。人※[#二の字点、1−2−22]面※[#二の字点、1−2−22]相望むやうになつた。修羅心《しゆらしん》は互に頂上に達した。牙を咬《か》み眼を瞋《いか》らして、鎬《しのぎ》を削り鍔《つば》を割つて争つた。こゝで勝たずに日がたてば、秀郷等は却《かへ》つて危ふくなるのであるから、死身になつて堪へ堪へたが、風は猛烈で眼もあけられなかつたため、秀郷の軍は終《つひ》に利を失つた。戦の潮合《しほあひ》を心
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