が引けるところで、一寸おもしろい。が、何の書にもかういふところは出て居ない。
然し実際に貞盛は将門の兵の寡《すくな》いことをば、何様《どう》して知つたか知り得たのである。将門精兵八千と伝へられてゐるが、此時は諸国へ兵を分けて出したので、旗本は甚《はなは》だ手薄だつた。貞盛はかねて糸を引き謀《はかりごと》を通じあつてゐた秀郷《ひでさと》と、四千余人を率ゐて猛然と起つた。二月一日矢合せになつた。将門の兵は千人に満たなかつたが、副将軍春茂(春茂は玄茂か)陣頭経明|遂高《かつたか》、いづれも剛勇を以て誇つてゐる者どもで、秀郷等を見ると将門にも告げずに、それ駈散らせと打つて蒐《かゝ》つた。秀郷、貞盛、為憲は兵を三手《みて》に分つて巧みに包囲した。玄明等大敗して、下野下総|界《ざかひ》より退《ひ》いた。勝に乗じて秀郷の兵は未申《ひつじさる》ばかりに川口村に襲ひかゝつた。川口村は水口村《みづくちむら》の誤《あやまり》で下総の岡田郡である。将門はこゝで自から奮戦したが、官と賊との名は異なり、多と寡《くわ》との勢《いきほひ》は競《きそ》は無いで退いた。秀郷貞盛は息をつかせず攻め立てた。勝てば助勢は出て
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