門だつたかも知れはし無い。「荒|壁《つと》に蔦のはじめや飾り縄」で、延喜式の出来た時は頼朝が頤《あご》で六十余州を指揮《しき》する種子《たね》がもう播《ま》かれてあつたとも云へるし、源氏物語を読んでは大江広元が生まれない遥《はるか》に前に、気運の既《すで》に京畿《けいき》に衰えてゐることを悟つた者が有つたかも知れないとも云へる。忠常の叛、前九年、後三年の乱は、何故に起つた。直接には直接の理由が有らうが、間接には粉面|涅歯《でつし》の公卿共がイソップ物語の屋根の上の羊みたやうにして居たからだ。奥州藤原家が何時《いつ》の間にか、「だんまり虫が壁を透《とほ》す」格で大きなものになつてゐたのも、何を語つてゐるかと云へば、「都のうつけ郭公《ほとゝぎす》待つ」其間におとなしくどし/\と鋤鍬《すきくは》を動かして居たからだ。天下枢機の地に立つ者が平安朝ほど惰弱|苟安《こうあん》で下らない事をしてゐたことは無い位だ。だから将門が火の手をあげると、八箇国はべた/\となつて、京では七|斛余《こくよ》の芥子《けし》を調伏祈祷の護摩《ごま》に焚《た》いて、将門の頓死屯滅《とんしとんめつ》を祈らせたと云伝《いひ
前へ 次へ
全97ページ中87ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング