たからだらう。相州|秦野《はたの》あたりに、将門が都しようかとしたといふ伝説の残つてゐるのも、将門軍がしばらくの間彷徨したり駐屯したりしてゐた為に生じたことであらう。燎原《れうげん》の勢《いきほひ》、八ヶ国は瞬間にして馬蹄《ばてい》の下になつてしまつた。実際平安朝は表面は衣冠束帯|華奢《くわしや》風流で文明くさかつたが、伊勢物語や源氏物語が裏面をあらはしてゐる通り、十二|単衣《ひとへ》でぞべら/\した女どもと、恋歌《こひか》や遊芸に身の膏《あぶら》を燃して居た雲雀骨《ひばりぼね》の弱公卿《よわくげ》共との天下であつて、日本各時代の中でも余り宜《よろ》しく無く、美なること冠玉の如くにして中|空《むな》しきのみの世であり、やゝもすれば暗黒時代のやうに外面のみを見て評する人の多い鎌倉時代などよりも、中味は充実してゐない危い代であつたのは、将門ばかりでは無い純友などにも脆《もろ》く西部を突崩されて居るのを見ても分る。元の忽必然《クビライ》が少し早く生れて、平安朝に来襲したならば、相模太郎になつて西天を睥睨《へいげい》してウムと堪《こら》へたものは公卿どもには無くつて、却《かへ》つて相馬小次郎将
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