平員経のみではあるまい、群衆心理に摂収されない者は、或は口に出して諫《いさ》め、或は心に秘めて非としたらうが、興世王や玄茂が事を用ゐて、除目《ぢもく》が行はれた。将門の弟の将頼は下野守に、上野守に常羽御厩別当多治経明を、常陸守に藤原玄茂を、上総守に興世王を、安房守に文室好立を、相模守に平将文を、伊豆守に平将武を、下総守に平将為を、それ/″\の受領が定められた。毒酒の宴は愈※[#二の字点、1−2−22]はづんで来た。下総の亭南《ていなみ》、今の岡田の国生《くにふ》村あたりが都になる訳で、今の葛飾《かつしか》の柳橋か否か疑はしいが※[#「木+義」、第3水準1−86−23]橋《ふなばし》といふところを京の山崎に擬《なぞ》らへ、相馬の大井津、今の大井村を京の大津に比し、こゝに新都が阪東に出来ることになつたから、景気の好いことは夥《おびたゞ》しい。浮浪人や配流人、なま学者や落魄公卿《らくはくくげ》、いろ/\の奴が大臣にされたり、参議にされたり、雑穀屋の主人が大納言金時などと納まりかへれば、掃除屋が右大弁|汲安《くみやす》などと威張り出す、出入の大工が木工頭《もくのかみ》、お針の亭主が縫殿頭《ぬひ
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