つはう》の際、今年の夏、同じく平貞盛、将門を召すの官符を奉じて常陸国に到《いた》りぬ。仍《よ》つて国内|頻《しき》りに将門に牒述《てふじゆつ》す。件《くだん》の貞盛は、追捕を免れて跼蹐《きよくせき》として道に上れる者也、公家は須《すべか》らく捕へて其の由を糺《たゞ》さるべきに、而もかへつて理を得るの官符を給はるとは、是尤も矯飾《けうしよく》せらるゝ也。」又|右少弁《うせうべん》源相職朝臣《みなもとすけときのあそん》仰せの旨を引いて書状を送れり、詞に云はく、武蔵介経基の告状により、定めて将門を推問すべきの後符あり了んぬと。」詔使到来を待つの比《ころ》ほひ、常陸介《ひたちのすけ》藤原維幾|朝臣《あそん》の息男為憲、偏《ひとへ》に公威を仮りて、ただ寃枉《ゑんわう》を好む。爰《こゝ》に将門の従兵藤原玄明の愁訴により、将門其事を聞かんが為に彼国に発向せり。而るに為憲と貞盛等と心を同じうし、三千余の精兵を率ゐて、恣《ほしいまゝ》に兵庫の器仗戎具《きぢやうじゆうぐ》並びに楯《たて》等を出して戦を挑《いど》む。是《こゝ》に於て将門士卒を励まし意気を起し、為憲の軍兵を討伏せ了んぬ。時に州を領するの間滅亡
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