のやうな調子で世に立つて居た。武蔵の騒がしいことを聞くと、武芝は近親では無いが、一つ扱つてやらう、といふ好意で郎等《らうどう》を率《したが》へて武蔵へ赴《おもむ》いた。武芝は喜んで本末を語り、将門と共に府に向つた。興世王と経基とは恰《あたか》も狭服山に在つたが、興世王だけは既《すで》に府に在《あ》るに会ひ、将門は興世王と武芝とを和解せしめ、府衙《ふが》で各※[#二の字点、1−2−22]数杯を傾けて居つたが、経基は未だ山北に在つた。其中武芝の従兵等は丁度経基の営所を囲んだやうになつた。経基は仲悪くして敵の如き思ひをなしてゐる武芝の従兵等が自分の営所を囲んだのを見て、たゞちに逃《のが》れ去つてしまつて、将門の言によりて武芝興世王等が和して自分一人を殺さうとするのであると合点した。そこで将門興世王を大《おほい》に恨んで、京に馳せ上つて、将門興世王謀反の企《くはだて》を致し居る由を太政官に訴へた。六孫王の言であるから忽ち信ぜられた。将門が兵を動かして威を奮つてゐることは、既に源護、平良兼、平貞盛等の訴《うつたへ》によりて、かねて知れて居るところへ、経基が此言によつて、今までのさま/″\の事は濃
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