い陰影をなして、新らしい非常事態をクッキリと浮みあらはした。
 将門の方は和解の事|画餅《ぐわへい》に属して、おもしろくも無く石井に帰つたが、三月九日の経基の讒奏《ざんそう》は、自分に取つて一方《ひとかた》ならぬ運命の転換を齎《もた》らして居るとも知る由《よし》無くて居た。都ではかねてより阪東が騒がしかつた上に愈※[#二の字点、1−2−22]《いよ/\》謀反といふことであるから、容易ならぬ事と公卿《くぎやう》諸司の詮議に上つたことであらう。同月二十五日、太政大臣忠平から、中宮少《ちゆうぐうせう》進多治《しんたぢ》真人《まびと》助真《すけざね》に事の実否を挙ぐべき由の教書を寄せ、将門を責めた。将門も謀反とあつては驚いたことであらうが、たとひ驕倣《けうがう》にせよ実際まだ謀反をしたのでは無いから、常陸下総下毛武蔵上毛五箇国の解文《げもん》を取つて、謀反の事の無実の由を、五月二日を以て申出た。余国は知らず、常陸から此の解文は出しさうも無いことであつた。少くとも常陸では、将門謀反の由の言を幸ひとして、虚妄《きよまう》にせよ将門を誣《し》ひて陥《おとしい》れさうなところである。貞盛の姑夫《をばむ
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