振つて牙《きば》を咬《か》んで怒り、せめては伊豆一国の主になつて此恨を晴らさうと奮ひ立つたとある。人間以上に心を置けば、恩愛に惹《ひ》かれて動転するのは弱くも浅くも甲斐《かひ》無くもあるが、人間としては恩愛の情の已《や》み難《がた》いのは無理も無いことである。如何《いか》に相馬小次郎が勇士でも心臓が筑波御影《つくばみかげ》で出来てゐる訳でもあるまいから、落さうと思つた妻子を殺されては、涙をこぼして口惜《くやし》がり、拳を握りつめて怒つたことであらう。これはまた暴れ出さずには居られない訳だ。しかしまだ私闘である、私闘の心が刻毒になつて来たのみである、謀反《むほん》をしようとは思つて居ないのである。
 記の此処《こゝ》の文が妙に拗《ねぢ》れて居るので、清宮秀堅は、将門の妻は殺されたのでは無くて上総《かづさ》に拘《とら》はれたので、九月十日になつて弟の謀《はかりごと》によつて逃帰つたといふ事に読んでゐる。然し文に「妻子同共討取」とあるから、何様《どう》も妻子は殺されたらしく、逃還《にげかへ》つたのは一緒に居《い》た妾であるらしい。が、「爰将門妻去夫留、忿怨不[#レ]少」「件妻背[#二]同気之
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