、良兼等は其儘《そのまゝ》指を啣《くは》へて終ふ訳には、これも阪東武者の腹の虫が承知しない。甥《おひ》の小僧つ子に塩をつけられて、国香亡き後は一族の長者たる良兼ともある者が屈してしまふことは出来ない。護も貞盛も女達も瞋恚《しんい》の火を燃《もや》さない訳は無い。将門が都から帰つて来て流石《さすが》に謹慎して居る状《さま》を見るに及んで、怨を晴らし恥辱を雪《そゝ》ぐは此時と、良兼等は亦復《また/\》押寄せた。其年八月六日に下総境の例の小貝川の渡に良兼の軍は来た。今度は良兼もをかしな智慧《ちゑ》を出して、将門の父良将祖父高望王の像を陣頭に持出して、さあ箭《や》が放せるなら放して見よ、鉾先《ほこさき》が向けらるゝなら向けて見よと、取つて蒐《かゝ》つた。籠城でもした末に百計尽き力乏しくなつてならばいざ知らず、随分いやな事をしたものだが、如何《いか》に将門勇猛なりとも此には閉口した。「親の位牌《ゐはい》で頭こつつり」といふ演劇には、大概な暴れ者も恐れ入る格で、根が無茶苦茶な男では無い将門は神妙におとなしくして居た。おとなしくした方が何程腹の中は強いか知れないのだが、差当つて手が出せぬのを見ると、
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