良兼の方は勝誇つた。豊田郡の栗栖院《くるすゐん》、常羽御厩《いくはのみうまや》や将門領地の民家などを焼払つて、其翌日さつと引揚げた。
芝居で云へば性根場《しやうねば》といふところになつた。将門は一[#(ト)]塩つけられて怒気胸に充《み》ち塞《ふさ》がつたが、如何とも為《せ》ん方《かた》は無かつた。で、其月十七日になつて兵を集めて、大方郷《おほかたがう》堀越の渡に陣を構へ、敵を禦《ふせ》がうとした。大方郷は豊田郡大房村の地で、堀越は今水路が変つて渡頭《ととう》では無いが堀籠村といふところである。併《しか》し将門は前度とは異つて、手痛くは働か無かつた。記には、脚気を病んで居て、毎事|朦※[#二の字点、1−2−22]《もうもう》としてゐたといふが、そればかりが原因か、或は都での訓諭に恐懼《きようく》して、仮りにも尊族に対して私《わたくし》に兵具を動かすことは悪いと思つた、しほらしい勇士の一面の優美の感情から、吽《うん》と忍耐したのかも知れない。弱くない者には却《かへ》つて此様《かう》いふ調子はあるものである。で、はか/″\しい抵抗も何等|敢《あへ》てしなかつたから、良兼の軍は思ふが儘に乱暴
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