るが如きことは敢《あへ》てし無かつたらう。箭《や》が来たから箭を酬《むく》いた、刀が加へられたから刀を加へた、弓箭《ゆみや》取る身の是非に及ばず合戦仕つて幸《さいはひ》に斬り勝ち申したでござる、と言つたに過ぎまい。勿論|私《わたくし》に兵仗《へいぢやう》を動かした責罰|譴誨《けんくわい》は受けたに相違あるまいが、事情が分明して見れば、重罪に問ふには足《た》ら無いことが認められたのに、かてゝ加へて皇室御慶事があつたので、何等罪せらるゝに至らず、承平七年四月七日一件落着して恩詔を拝した。検非違使《けびゐし》庁《ちやう》の推問に遇《あ》うて、そして将門の男らしいことや、勇威を振つたことは、却《かへ》つて都の評判となつて同情を得たことと見える。然し干戈《かんくわ》を動かしたことは、深く公より譴責《けんせき》されたに疑無い。で、同年五月十一日に京を辞して下総に帰つた。
 とは記に載つてゐるところだが、これは疑はしい。こゝに事実の前後錯誤と年月の間違があるらしい。将門は幾度も符を以て召喚されたが、最初一度は上洛し、後は上洛せずに、英保純行に委曲《ゐきよく》を告げたのである。将門はそれで宜《よ》いが
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