えのさきで、今の江戸崎である。それから翌日、良正がゐる筑波の南の水守へ到着したといふ事だ。私闘は段※[#二の字点、1−2−22]と大きくなつた。関を打破つて通りこそせざれ、間道※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]を通つて、苟《いやしく》も何の介《すけ》といふ者が、官司の禁遏《きんあつ》を省みず武力で争はうといふのである。良正は喜んで迎へた。貞盛も参会した。良兼は貞盛に対《むか》つて、常平太何事ぞ我等と与にせざるや、財物を掠《かす》められ、家倉を焼かれ、親類を害せられて、穏便を旨《むね》とするは何ぞや、早※[#二の字点、1−2−22]合力して将門を討ち候へと、叔父|様顔《さんがほ》の道理らしく説いた。言はれて見れば其の通りであるから、貞盛も吾が女房の兄弟の仇、言はず語らずの父の讐《かたき》であるから、心得た、と言切つた。姉妹三人の夫たる叔父甥三人は、良兼を大将にして下野《しもつけ》を指して出発した。下野から南に下つて小次郎めを圧迫しようといふのだ。将門はこれを聞いて、御座んなれ二本棒ども、とでも思つたらう。財布の大きいものが、博奕はきつと勝つと定まつては居ないのだ
前へ
次へ
全97ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング