した人である、国香を強ひて殺さう訳は無い。貞盛の此の言を考へると、全く源氏と戦つたので、余波が国香に及んだのであらう。伯父殺しを心掛けて将門が攻寄せたものならば、貞盛に斯様《かう》いふ詞の出せる訳も無い。但し国香としては田邑《でんいふ》の事につきて将門に対して心弱いこともあつた歟《か》、さらずも居館を焼亡されて撃退することも得せぬ恥辱に堪へかねて死んだのであらうか。こゝにも戯曲的光景がいろ/\に描き出さるゝ余地がある。まして国香の郎党佗田真樹は弱い者では無い、後に至つて戦死して居る程の者であるから、将門の兵が競ひかゝつて国香を攻めたのならば、何等かの事蹟を生ずべき訳である。
良正は高望王の庶子で、妻は護の女《むすめ》であつた。護は老いて三子を尽《こと/″\》く失つたのだから悲嘆に暮れたことは推測される。そこで父の歎《なげき》、弟の恨《うらみ》、良正の妻は夫に対して報復の一[#(ト)]合戦をすゝめたのも無理は無い。云はれて見れば後へは退けぬので、良正は軍兵を動かして水守《みづもり》から出立した。水守は筑波山《つくばさん》の南の北条の西である。兵は進んで下総堺の小貝川の川曲に来た。川曲は
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