も刀を抜いて見れば修羅心|熾盛《しせい》になつて、遣りつけるだけは遣りつけたのだらう。然しこゝに注意しなければならぬのは、是はたゞ私闘であつて、謀反《むほん》をして国の治者たる大掾を殺したのではない事である。
 貞盛は国香の子として京に在つて此事を聞いて暇《いとま》を請《こ》うて帰郷した。記に此場合の貞盛の心を書いて、「貞盛|倩※[#二の字点、1−2−22]《つら/\》案内を検するに、およそ将門は本意の敵にあらず、これ源氏の縁坐也云※[#二の字点、1−2−22]。孀母《さうぼ》は堂に在り、子にあらずば誰か養はん、田地は数あり、我にあらずば誰か領せん、将門に睦《むつ》びて云※[#二の字点、1−2−22]、乃《すなは》ち対面せんと擬す」とある。国香死亡記事の本文は分らないが、此の文気を観ると、将門が国香を心底から殺さうとしたので無いことは、貞盛が自認してゐるので、源氏の縁坐で斯様《かやう》の事も出来たのであるから、無暗《むやみ》に将門を悪《にく》むべくも無い、一族の事であるから寧《むし》ろ和睦《わぼく》しよう、といふのである。前に云つた通り将門は自分を攻めに来た良兼を取囲んだ時もわざと逃が
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