闘は起つたのらしい。何故《なぜ》といへば将門記の中の、将門が勝を得て良兼を囲んだところの条《くだり》の文に、「斯《かく》の如く将門思惟す、凡《およ》そ当夜の敵にあらずといへども(良兼は)脈を尋《たづ》ぬるに疎《うと》からず、氏を建つる骨肉なり、云はゆる夫婦は親しけれども而も瓦に等しく、親戚は疎くしても而も葦に喩《たと》ふ、若し終に(伯父を)殺害を致さば、物の譏《そし》り遠近《をちこち》に在らんか」とあつて、取籠めた伯父良兼を助けて逃れしめてやるところがある。その文気を考へると、妻の故の事を以て伯父を殺すに至るは愚なことであるといふのであるから、将門が妻となし得なかつた者から事が起つたのでは無くて、将門が妻となし得たものがあつてそれから伯父と弓箭《きゆうせん》をとつて相見《あいまみ》ゆるやうにもなつたのであるらしい。それから又同記に拠ると、将門を告訴したものは源護である。記に「然る間|前《さき》の大掾《だいじよう》源護の告状に依りて、件《くだん》の護並びに犯人平将門及び真樹《まき》等召進ずべきの由の官符、去る承平五年十二月二十九日符、同六年九月七日到来」とあるから、原告となつた者は護であ
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