めた人であつて、浄人以来下総の相馬に居たのである。此相馬郡寺田村相馬総代八幡の地方一帯は多分犬養氏の蟠拠《ばんきよ》してゐたところで、将門が相馬小次郎と称したのは其の因縁《いんねん》に疑無い。寺田は取手駅と守谷との間で、守谷の飛地といふことであり、守谷が将門拠有の地であつたことは人の知るところである。将門は斯様《かう》いふ大家族の中に生れて来て、沢山の伯父や叔父を有ち、又伯父国香の子には貞盛、繁盛、兼任、伯父良兼の子には公雅《きんまさ》、公連《きんつら》、公元、叔父良広の子には経邦、叔父良文の子には忠輔、宗平、忠頼、叔父良持の子には致持《むねもち》、叔父良茂の子には良正、此等の沢山の従兄弟《いとこ》を有した訳である。
 此の中で生長した将門は不幸にして父の良将を亡《うしな》つた。将門が何歳の時であつたか不明だが、弟達の多いところを見ると、蓋《けだ》し十何歳であつたらしい。幼子のみ残つて、主人の亡くなつた家ほど難儀なものはない。母の里の犬養老人でも丈夫ならば、差詰め世話をやくところだが、それは存亡不明であるが、多分既に物故してゐたらしい年頃である。そこで一族の長として伯父の国香が世話をす
前へ 次へ
全97ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング