#二の字点、1−2−22]《りん/\》と取つてかゝつたので、下野の国司は辟易《へきえき》した。経基の奏の後、阪東諸国の守や介は新らしい人※[#二の字点、1−2−22]に換《か》へられたが、斯様《かう》いふ時になると新任者は勝手に不案内で、前任者は責任の解けたことであるから、いづれにしても不便不利であつて、下野の新司の藤原の公雅は抵抗し兼ねて印鑰《いんやく》を差出して降《くだ》つて終《しま》つた。前司の大中臣《おほなかとみ》全行《まさゆき》も敵対し無かつた。国司の館《やかた》も国府も悉《こと/″\》く虜掠《りよりやく》されて終ひ、公雅は涙顔天を仰ぐ能《あた》はず、すご/\と東山道を都へ逃れ去つた。同月十五日馬を進めて上野へ将門等は出た。介の藤原尚範も印鑰《いんやく》を奪はれて終つた。十九日国庁に入り、四門の陣を固めて、将門を首《はじ》め興世王、藤原玄茂等堂※[#二の字点、1−2−22]と居流れた。(玄茂も常陸の者である、蓋《けだ》し玄明の一族、或は玄茂即玄明であらう。)此時、此等の大変に感じて精神異常を起したものか、それとも玄明等|若《も》しくは何人かの使嗾《しそう》に出でたか知らぬが、一伎あらはれ出でゝ、神がゝりの状になり、八幡大菩薩《はちまんだいぼさつ》の使者と口走り、多勢の中で揚言して、八幡大菩薩、位《くらゐ》を蔭子《いんし》将門に授く、左大臣正二位菅原|道真朝臣《みちざねあそん》之を奉ず、と云つた。一軍は訳も無く忻喜雀躍《きんきじやくやく》した。興世王や玄茂等は将門を勧めた。将門は遂に神旨を戴いた。四陣上下、挙《こぞ》つて将門を拝して、歓呼の声は天地を動かした。
 此の仕掛花火《しかけはなび》は唯が[#「唯が」はママ]製造したか知らぬが、蓋し興世玄明の輩《やから》だらう。理屈は兎《と》もあれ景気の好い面白い花火が揚《あが》れば群衆は喝采《かつさい》するものである。群衆心理なぞと近頃しかつめらしく言ふが、人は時の拍子にかゝると途方も無いことを共感協行するものである。昔はそれを通り魔の所為だの天狗《てんぐ》の所為だのと言つたものである。群衆といふことは一体鰯だの椋鳥《むくどり》だの鴉《からす》だの鰊《にしん》だのの如きものの好んで為すところで、群衆に依《よ》つて自族を支へるが、個体となつては余りに弱小なものの取る道である。人間に在つても、立教者は孤独で信教者は群集、勇者は独往し怯者《けふしや》は同行する、創作者は独自で模倣者《もはうしや》は群集、智者は寥※[#二の字点、1−2−22]《れう/\》、愚者は多※[#二の字点、1−2−22]であつて、群衆して居るといへば既《すで》にそれは弱小|蠢愚《しゆんぐ》の者なる事を現はして居る位のものである。群衆心理は即《すなは》ち衆愚心理なのであるから、皆自から主たる能《あた》はざるほどの者共が、相率《あひひき》ゐて下らぬ事を信じたり、下らぬ事を怒つたり悲しんだり喜んだり、下らぬ行動を敢《あへ》てしたりしても何も異とするには足らない。魚は先頭魚の後へついて行き、鳥は先発鳥の後へつくものである。群衆は感の一致から妄従妄動するもので、浅野|内匠頭《たくみのかみ》の家は潰《つぶ》され城は召上げられると聞いた時、一二が籠城して戦死しようと云へば、皆争つて籠城戦死しようとしたのが即ち群衆心理である。其実は主家の為に忠に死するに至つた者は終《つひ》に何程も有りはし無かつた。感の一致が月日の立つと共に破れると、御金配分を受けて何処《どこ》かへ行つてしまふのが却《かへ》つて本態だつたのである。そこで衆愚心理を見破つて、これを正しく用ゐるのが良い政治家や軍人で、これを吾が都合上に用ゐるのが奸雄《かんゆう》や煽動家《せんどうか》である。八幡大菩薩《はちまんだいぼさつ》の御託宣は群衆を動かした。群衆は無茶に歓《よろこ》んだ。将門は新皇と祭り上げられた。通り魔の所為だ、天狗の所為だ。衆愚心理は巨浪を※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]島《ゑんたう》に持上げてしまつた。将門は毒酒を甘しとして其の第二盃を仰いでしまつた。
 道真公が此処《こゝ》へ陪賓《ばいひん》として引張り出されたのも面白い。公の貶謫《へんたく》と死とは余ほど当時の人心に響を与へてゐたに疑無い。現に栄えてゐる藤原氏の反対側の公の亡霊の威を藉《か》りたなどは一寸《ちよつと》をかしい。たゞ将門が菅公|薨去《こうきよ》の年に生れたといふ因縁で、持出したのでもあるまい。本来託宜といふことは僧道|巫覡《ふげき》の徒の常套で、有り難過ぎて勿体無いことであるが、迷信流行の当時には託宣は笑ふ可《べ》きことでは無かつたのである。現に将門を滅ぼす祈祷《きたう》をした叡山《えいざん》の明達《めいたつ》阿闍梨《あじやり》の如きも、松尾明神の託宣に、明達は阿倍仲
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