か生捕るかしてやらうと息巻いた。維幾も常陸介、子息為憲もきかぬ気の若者、官権実力共に有る男だ。斯様《かう》なつては玄明は維幾に敵することは出来無い。そこで眼も光り口も利《き》ける奴だから、将門よりほかに頼む人は無いと、将門の処《ところ》へ駈込んで、何様《どう》ぞ御助け下さいと、切《しき》りに将門を拝み倒した。元来親分気のある将門が、首を垂れ膝を折つて頼まれて見ると、余《あま》り香《かん》ばしくは無いと思ひながらも、仕方が無い、口をきいてやらう、といふことになつた。居候の興世王は面白づくに、親分、縋《すが》つて来る者を突出す訳にはいかねえぢや有りませんか位の事を云つたらう。で、玄明は気が強くなつた。将門は常陸《ひたち》は元《もと》から敵にした国ではあり、また維幾は貞盛の縁者ではあり、貞盛だつて今に維幾の裾《すそ》の蔭か袖《そで》の蔭に居るのであるから、うつかり常陸へは行かれない。興世王はじめ皆相談にあづかつたに相違ないが、好うございますは、事と品とによれば刃金《はがね》と鍔《つば》とが挨拶《あいさつ》を仕合ふばかりです、といふ者が多かつたのだらう、とう/\天慶二年十一月廿一日常陸の国へ相馬小次郎|郎党《らうだう》を率《ひき》ゐて押出した。興世王ばかりではあるまい、平常むだ飯を食つて居る者が、桃太郎のお供の猿や犬のやうな顔をして出掛けたに違無い。維幾の方でも知らぬ事は無い、十分に兵を用意した。将門は、件《くだん》の玄明下総に入つたる以上は下総に住せしめ、踏込んで追捕すること無きやうにありたいと申込んだ。維幾の方にも貞盛なり国香なりの一《いち》まきが居たらう。維幾は将門の申込に対して、折角の御申状《おんまをしじやう》ではあるが承引致し申さぬ、とかう仰せらるゝならば公の力、刀の上で此方心のまゝに致すまで、と刎付《はねつ》けた。然《さ》らば、然らば、を双方で言つて終《しま》つたから、論は無い、後は斫合《きりあ》ひだ。揉合《もみあ》ひ押合つた末は、玄明の手引《てびき》があるので将門の方が利を得た。大日本史や、記に「将門撃つて三千人を殺す」とあるのは大袈裟《おほげさ》過ぎるやうだが、敵将維幾を生捕《いけど》りにし、官の印鑰《いんやく》を奪ひ、財宝を多く奪ひ、営舎を焚《や》き、凱歌《がいか》を挙《あ》げて、二十九日に豊田郡の鎌輪《かまわ》、即ち今の鎌庭に帰つた。勢《いきほひ》といふ条、こゝに至つては既に遣《や》り過ぎた。大親分も宜《よ》いけれども、奉行《ぶぎやう》や代官を相手にして談判をした末、向ふが承知せぬのを、此奴《こやつ》めといふので生捕りにして、役宅《やくたく》を焚き、分捕りをして還《かへ》つたといふのでは、余り強過ぎる。
 玄明の事の起らぬ前、官符があるのであるから、将門が微力であるか維幾が猛威を有してゐるならば、将門は先づ維幾のために促《うなが》されて都へ出て、糺問《きうもん》されねばならぬ筈の身である。それが有つたからといふのも一つの事情か知らぬが、又貞盛縁類といふことも一ツの理由か知らぬが、又打つてかゝつて来たからといふのも一の所以《いはれ》か知らぬが、常陸介を生捕り国庁を荒し、掠奪焚焼《りやくだつふんせう》を敢てし、言はず語らず一国を掌握《しやうあく》したのは、相馬小次郎も図に乗つて暴《あば》れ過ぎた。裏面の情は問ふに及ばず、表面の事は乱賊の所行だ。大小は違ふが此類の事の諸国にあつたのは時代的の一現象であつたに疑無いけれど、これでは叛意が有る無いにかゝはらず、大盗の所為、又は暴挙といふべきものである。今で云へば県庁を襲撃し、県令を生擒《いけどり》し、国庫に入る可《べ》き財物を掠奪したのに当るから、心を天位に掛けぬまでも大罪に相違無い。将門は玄明、興世王なんどの遣口《やりくち》を大規模にしたのである。将門|猶未《なほいま》だ僣《せん》せずといへども、既《すで》に叛したのである。純友の暴発も蓋《けだ》し此様《かう》いふ調子なのであつたらう。延喜年間に盗の為に殺された前安芸守《さきのあきのかみ》伴光行、飛騨守《ひだのかみ》藤原辰忠、上野介《かうづけのすけ》藤原厚載、武蔵守《むさしのかみ》高向利春などいふものも、蓋《けだ》し維幾が生擒《いけどり》されたやうな状態であつたらう。孔孟《こうまう》の道は尊ばれたやうでも、実は文章詩賦が流行《はや》つたのみで、仏教は尊崇されたやうでも、実は現世|祈祷《きたう》のみ盛んで、事実に於て神祠巫覡《しんしふげき》の徒と妥協《だけふ》を遂げ、貴族に迎合《げいがふ》し、甚《はなはだ》しく平等の思想に欠け、人は恋愛の奴隷、虚栄の従僕となつて納まり返り、大臣からしてが賭《かけ》をして他《ひと》の妻を取るほど博奕《ばくち》思想は行はれ、官吏は唯《ただ》民に対する誅求《ちゆうきう》と上に対する阿諛《あゆ》とを事
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