中[#一]、迯[#二]帰於夫家[#一]」とあるところを見ると、妻が拘はれたやうでもある。「妾恒存[#二]真婦之心[#一]」「妾之舎弟等成[#レ]謀」とあるところを見ると、妾のやうでもある。妻妾二字、形相近いから何共|紛《まぎ》らはしいが、妻子同共討取の六字があるので、妻子は殺されたものと読んで居る人もある。どちらにしても強くは言張り難いが、「然而将門尚与[#二]伯父[#一]為[#二]宿世之讐[#一]」といふ句によつて、何にせよ此事が深い怨恨《ゑんこん》になつた事と見て差支《さしつかへ》は無い。しばらく妻子は殺されて、拘《とら》はれた妾は逃帰つた事と見て置く。
 此事あつてより将門は遺恨《ゐこん》已《や》み難《がた》くなつたであらう、今までは何時《いつ》も敵に寄せられてから戦つたのであるが、今度は我から軍を率《ひき》ゐて、良兼が常陸《ひたち》の真壁郡の服織《はつとり》、即ち今の筑波山の羽鳥に居たのを攻め立つた。良兼は筑波山に拠《よ》つたから羽鳥を焼払ひ、戦書を贈《おく》つて是非の一戦を遂《と》げようとしたが、良兼は陣を堅くして戦は無かつたので、将門は復讐的に散※[#二の字点、1−2−22]《さん/″\》敵地を荒して帰つた。斯様《かう》なれば互《たがひ》に怨恨《ゑんこん》は重《かさ》なるのみであるが、良兼の方は何様《どう》しても官職を帯びて居るので、官符は下《くだ》つて、将門を追捕すべき事になつた。良兼、護、今は父の後を襲ふた常陸大掾《ひたちのだいじよう》貞盛、良兼の子の公雅、公連、それから秦清文《はたきよぶみ》、此等が皆職を帯びて、武蔵、安房《あは》、上総、下総、常陸、下野諸国の武士を駆催《かりもよほ》して将門を取つて押へようとする。将門は将門で後へは引け無くなつたから勢威を張り味方を募《つの》つて対抗する。諸国の介《すけ》や守《かみ》や掾《じよう》やは、騒乱を鎮める為に戮力《りくりよく》せねばならぬのであるが、元来が私闘で、其の情実を考へれば、強《あなが》ち将門を片手落に対治すべき理があるやうにも思へぬから、官符があつても誰も好んで矢の飛び剣の舞ふ中へ出て来て危い目に逢はうとはしない。将門は一人で、官職といへば別に大したものを有してゐるのでも無い、たゞ伊勢太神宮の御屯倉《みやけ》を預かつて相馬|御厨《みくりや》の司《つかさ》であるに過ぎぬのであるに、父の余威を仮《か
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