屈して居るやうになつたところで、良兼方の一分は立つたのだから、其儘に良兼方が凱歌を奏して退《ひ》いて終《しま》つたれば、或は和解の助言なども他から入つて、宜い程のところに双方|折合《をりあ》ふといふことも成立つたか知れないのである。ところが転石の山より下《くだ》るや其の勢《いきほひ》必ず加はる道理で、終《つひ》に良兼将門は両立す可からざる運命に到着した。それは将門が安穏を得させようとして跡を埋め身を隠させた其の愛妻を敵が発見したことであつた。どうも良兼方の憎悪は此の妻にかゝつて居たらしい。それ占《し》めたといふのであつたらう、忽ちに手対《てむか》ふ者を討殺《うちころ》し、七八|艘《さう》の船に積載した財貨三千余端を掠奪し、かよわい妻子を無漸《むざん》にも斬殺《きりころ》してしまつたのが、同月十九日の事であつた。元来火薬が無かつた訳では無いから、如何に一旦は神妙にしてゐても、此処《こゝ》に至つて爆発せずには居ない。後の世の頼朝が伊豆に潜《ひそ》んで居た時も、たゞおとなしく世を終つたかも知れないが、伊東入道に意中の女は引離され児は松川に投入れらるゝに及んで、ぶる/\と其の巨《おほ》きい頭を振つて牙《きば》を咬《か》んで怒り、せめては伊豆一国の主になつて此恨を晴らさうと奮ひ立つたとある。人間以上に心を置けば、恩愛に惹《ひ》かれて動転するのは弱くも浅くも甲斐《かひ》無くもあるが、人間としては恩愛の情の已《や》み難《がた》いのは無理も無いことである。如何《いか》に相馬小次郎が勇士でも心臓が筑波御影《つくばみかげ》で出来てゐる訳でもあるまいから、落さうと思つた妻子を殺されては、涙をこぼして口惜《くやし》がり、拳を握りつめて怒つたことであらう。これはまた暴れ出さずには居られない訳だ。しかしまだ私闘である、私闘の心が刻毒になつて来たのみである、謀反《むほん》をしようとは思つて居ないのである。
記の此処《こゝ》の文が妙に拗《ねぢ》れて居るので、清宮秀堅は、将門の妻は殺されたのでは無くて上総《かづさ》に拘《とら》はれたので、九月十日になつて弟の謀《はかりごと》によつて逃帰つたといふ事に読んでゐる。然し文に「妻子同共討取」とあるから、何様《どう》も妻子は殺されたらしく、逃還《にげかへ》つたのは一緒に居《い》た妾であるらしい。が、「爰将門妻去夫留、忿怨不[#レ]少」「件妻背[#二]同気之
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