襟《えり》に落《おつ》るなど怪しき夢|計《ばかり》見て覚際《さめぎわ》胸あしく、日の光さえ此頃《このごろ》は薄うなったかと疑うまで天地を我につれなき者の様《よう》恨む珠運《しゅうん》、旅路にかりそめの長居《ながい》、最早《もはや》三月《みつき》近くなるにも心|付《つか》ねば、まして奈良[#「良」は底本では「見」]へと日課十里の行脚《あんぎゃ》どころか家内《やうち》をあるく勇気さえなく、昼は転寝《うたたね》勝《がち》に時々|怪《け》しからぬ囈語《うわごと》しながら、人の顔見ては戯談《じょうだん》一《ひ》トつ云わず、にやりともせず、世は漸《ようや》く春めきて青空を渡る風|長閑《のどか》に、樹々《きぎ》の梢《こずえ》雪の衣脱ぎ捨て、家々の垂氷《たるひ》いつの間にか失《う》せ、軒伝う雫《しずく》絶間《たえま》なく白い者|班《まばら》に消えて、南向《みなみむき》の藁《わら》屋根は去年《こぞ》の顔を今年初めて露《あらわ》せば、霞《かす》む眼《め》の老《おい》も、やれ懐かしかったと喜び、水は温《ぬる》み下草は萌《も》えた、鷹《たか》はまだ出ぬか、雉子《きじ》はどうだと、終《つい》に若鮎《わかあゆ》の
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