さして笑ったぞ、コレ珠運、オイ是は仕《し》たり、孫でも無かったにと罪のなき笑い顔して奇麗なる天窓《あたま》つるりとなでし。
中 実生《みしょう》二葉《ふたば》は土塊《つちくれ》を抽《ぬ》く
我今まで恋と云《い》う事|為《し》たる覚《おぼえ》なし。勢州《せいしゅう》四日市にて見たる美人三日|眼前《めさき》にちらつきたるが其《それ》は額に黒痣《ほくろ》ありてその位置《ところ》に白毫《びゃくごう》を付《つけ》なばと考えしなり。東京|天王寺《てんのうじ》にて菊の花片手に墓参りせし艶女《えんじょ》、一週間思い詰《つめ》しが是《これ》も其《その》指つきを吉祥菓《きっしょうか》持《もた》せ玉《たも》う鬼子母神《きしぼじん》に写してはと工夫せしなり。お辰《たつ》を愛《めで》しは修業の足しにとにはあらざれど、之《これ》を妻に妾《めかけ》に情婦《いろ》になどせんと思いしにはあらず、強《し》いて云わば唯《ただ》何となく愛《めで》し勢《いきおい》に乗りて百両は与《あたえ》しのみ、潔白の我《わが》心中を忖《はか》る事出来ぬ爺《じい》めが要《いら》ざる粋立《すいだて》馬鹿《ばか》々々し、一生に一つ珠運《しゅうん》が作意の新仏体を刻まんとする程の願望《のぞみ》ある身の、何として今から妻など持《もつ》べき、殊にお辰は叔父《おじ》さえなくば大尽《だいじん》にも望まれて有福《ゆうふく》に世を送るべし、人は人、我は我の思わくありと決定《けつじょう》し、置手紙にお辰|宛《あ》て少許《すこしばかり》の恩を伽《かせ》に御身《おんみ》を娶《めと》らんなどする賎《いや》しき心は露持たぬ由を認《したた》め、跡は野となれ山路にかゝりてテク/\歩行《あるき》。さても変物、此《この》男木作りかと譏《そし》る者は肉団《にくだん》奴才《どさい》、御釈迦様《おしゃかさま》が女房|捨《すて》て山籠《やまごもり》せられしは、耆婆《きば》も匕《さじ》を投《なげ》た癩病《らいびょう》、接吻《くちづけ》の唇《くちびる》ポロリと落《おち》しに愛想《あいそ》尽《つか》してならんなど疑う儕輩《やから》なるべし、あゝら尊し、尊し、銀の猫《ねこ》捨《すて》た所が西行《さいぎょう》なりと喜んで誉《ほ》むる輩《ともがら》是も却《かえっ》て雪のふる日の寒いのに気が付《つか》ぬ詮義《せんぎ》ならん。人間元より変な者、目盲《めしい》てから其《その》昔拝んだ旭日《あさひ》の美しきを悟り、巴里《パリー》に住んでから沢庵《たくあん》の味を知るよし。珠運は立鳥《たつとり》の跡ふりむかず、一里あるいた頃《ころ》不図《ふと》思い出し、二里あるいた頃珠運様と呼ぶ声、まさしく其人《そのひと》と後《うしろ》見れば何もなし、三里あるいた頃、もしえと袂《たもと》取る様子、慥《たしか》にお辰と見れば又人も居《お》らず、四里あるき、五里六里行き、段々遠くなるに連れて迷う事多く、遂《つい》には其顔見たくなりて寧《いっそ》帰ろうかと一《ひ》ト足|後《あと》へ、ドッコイと一二|町《ちょう》進む内、むか/\と其声|聞度《ききたく》て身体《からだ》の向《むき》を思わずくるりと易《かゆ》る途端|道傍《みちばた》の石地蔵を見て奈良よ/\誤ったりと一町たらずあるく向《むこう》より来る夫婦|連《づれ》の、何事か面白相に語らい行くに我もお辰と会話《はなし》仕度《したく》なって心なく一間《いっけん》許《ばか》り戻《もど》りしを、愚《おろか》なりと悟って半町歩めば我しらず迷《まよい》に三間もどり、十足《とあし》あるけば四足《よあし》戻りて、果《はて》は片足進みて片足戻る程のおかしさ、自分ながら訳も分らず、名物|栗《くり》の強飯《こわめし》売《うる》家《いえ》の牀几《しょうぎ》に腰|打掛《うちかけ》てまず/\と案じ始めけるが、箒木《ははきぎ》は山の中にも胸の中にも、有無分明《うむぶんみょう》に定まらず、此処《ここ》言文一致家に頼みたし。
下 若木《わかき》三寸で螻《けら》蟻《あり》に害《そこの》う
世の中に病《やまい》ちょう者なかりせば男心のやさしかるまじ。髭先《ひげさき》のはねあがりたる当世才子、高慢の鼻をつまみ眼鏡《めがね》ゆゝしく、父母干渉の弊害を説《とき》まくりて御異見の口に封蝋《ふうろう》付玉《つけたま》いしを一日粗造のブランディに腸|加答児《カタル》起して閉口|頓首《とんしゅ》の折柄、昔風の思い付、気に入らぬか知らぬが片栗湯《かたくりゆ》こしらえた、食《たべ》て見る気はないかと厚き介抱《かいほう》有難く、へこたれたる腹にお母《ふくろ》の愛情を呑《のん》で知り、是《これ》より三十銭の安西洋料理食う時もケーク丈《だけ》はポッケットに入れて土産《みやげ》となす様になる者ぞ、ゆめ/\美妙なる天の配剤に不足|云《い》うべからずと或
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