いて言葉はなく深く礼して叔父に付添《つきそい》立出《たちいず》る二タ足《あし》三足め、又|後《うしろ》ふり向きし其《その》あわれさ、八幡《はちまん》命かけて堪忍ならずと珠運七と呼留《よびと》め、百両物の見事に投出して、亭主お辰の驚《おどろく》にも関《かま》わず、手続《てつづき》油断なく此《この》悪人と善女《ぜんにょ》の縁を切りてめでたし/\、まずは亀屋の養女分となしぬ。
[#改ページ]
第六 如是縁《にょぜえん》
上 種子《たね》一粒《いちりゅう》が雨露《うろ》に養わる
自分|妾狂《めかけぐるい》しながら息子《むすこ》の傾城買《けいせいがい》を責《せむ》る人心、あさましき中にも道理ありて、七《しち》の所業|誰《たれ》憎まぬ者なければ、酒|呑《のん》で居ても彼奴《きゃつ》娘の血を吮《す》うて居るわと蔭言《かげごと》され、流石《さすが》の奸物《かんぶつ》も此処《ここ》面白からず、荒屋《あばらや》一《ひ》トつ遺《のこ》して米塩《こめしお》買懸《かいがか》りの云訳《いいわけ》を家主《いえぬし》亀屋《かめや》に迷惑がらせ何処《どこ》ともなく去りける。珠運《しゅうん》も思い掛《がけ》なく色々の始末に七日余り逗留《とうりゅう》して、馴染《なじむ》につけ亭主《ていしゅ》頼もしく、お辰《たつ》可愛《かわゆ》く、囲炉裏《いろり》の傍《はた》に極楽国、迦陵頻伽《かりょうびんが》の笑声《わらいごえ》睦《むつま》じければ客あしらいされざるも却《かえっ》て気楽に、鯛《たい》は無《なく》とも玉味噌《たまみそ》の豆腐汁、心|協《あ》う同志《どし》安らかに団坐《まどい》して食う甘《うま》さ、或《あるい》は山茶《やまちゃ》も一時《いっとき》の出花《でばな》に、長き夜の徒然《つれづれ》を慰めて囲い栗《ぐり》の、皮|剥《むい》てやる一顆《いっか》のなさけ、嬉気《うれしげ》に賞翫《しょうがん》しながら彼も剥《む》きたるを我に呉《く》るゝおかしさ。実《げ》に山里も人情の暖《あたたか》さありてこそ住《すめ》ば都に劣らざれ。さりながら指折り数うれば最早《もはや》幾日か過《すぎ》ぬ、奈良という事|臆《おも》い起しては空《むな》しく遊び居《お》るべきにあらずとある日支度整え勘定促し立出《たちいで》んというに亭主《ていしゅ》呆《あき》れて、是《これ》は是は、婚礼も済《すま》ぬに。ハテ誰が婚礼。知れた事お辰が。誰と。冗談は置玉《おきたま》え。あなたならで誰とゝ云《いわ》れてカッと赤面し、乾きたる舌早く、御亭主こそ冗談は置玉《おきたま》え、私約束したる覚《おぼえ》なし。イヤ怪《け》しからぬ野暮《やぼ》を云《いわ》るゝは都の御方《おかた》にも似ぬ、今時の若者《わかいもの》がそれではならぬ、さりとては百両|投出《なげだし》て七蔵にグッとも云《い》わせなかった捌《さば》き方と違っておぼこな事、それは誰しも耻《はず》かしければ其様《そのよう》にまぎらす者なれど、何も紛《まぎら》すにも及ばず[#「ず」は底本では「す」]、爺《じじ》が身に覚あってチャンと心得てあなたの思わく図星の外れぬ様致せばおとなしく御《お》待《まち》なされと何やら独呑込《ひとりのみこみ》の様子、合点《がてん》ならねば、是是《これこれ》御亭主、勘違い致さるゝな、お辰様をいとしいとこそ思いたれ女房に為様《しよう》なぞとは一厘《いちりん》も思わず、忍びかねて難義を助《たすけ》たる計《ばかり》の事、旅の者に女房授けられては甚《はなは》だ迷惑。ハハハヽア、何の迷惑、器量美しく学問|音曲《おんぎょく》のたしなみ無《なく》とも縫針《ぬいはり》暗からず、女の道自然と弁《わきま》えておとなしく、殿御《とのご》を大事にする事|請合《うけあい》のお辰を迷惑とは、両柱《ふたはしら》の御神以来|図《ず》ない議論、それは表面《うわべ》、真《まこと》を云えば御前の所行《しょぎょう》も曰《いわ》くあってと察したは年の功、チョン髷《まげ》を付《つけ》て居ても粋《すい》じゃ、実《まこと》はおれもお前のお辰に惚《ほれ》たも善《よ》く惚た、お辰が御前に惚たも善く惚たと当世の惚様《ほれよう》の上手なに感心して居るから、媼《ばば》とも相談して支度出来次第婚礼さする積《つもり》じゃ、コレ珠運年寄の云う事と牛の鞦《しりがい》外れそうで外れぬ者じゃ、お辰を女房にもってから奈良へでも京へでも連立《つれだっ》て行きゃれ、おれも昔は脇差《わきざし》に好《このみ》をして、媼も鏡を懐中してあるいた頃《ころ》、一世一代の贅沢《ぜいたく》に義仲寺《ぎちゅうじ》をかけて六条様参り一所《いっしょ》にしたが、旅ほど嚊《かか》が可愛《かわゆ》うておもしろい事はないぞ、いまだに其頃《そのころ》を夢に見て後での話しに、此《この》間も嫗《ばば》に真夜中|頃《ごろ》入歯を飛出
前へ
次へ
全27ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング