]《きゅうきゅう》如律令《にょりつりょう》と唱《とな》えて谷川に流し捨《すて》るがよいとの事、憎や老嫗《としより》の癖に我を嬲《なぶ》らるゝとは知《しり》ながら、貴君《あなた》の御足《おんあし》を止度《とめた》さ故に良事《よいこと》教《おし》られしよう覚《おぼえ》て馬鹿気《ばかげ》たる呪《まじない》も、試《やっ》て見ようかとも惑う程小さき胸の苦《くるし》く、捨《すて》らるゝは此身の不束《ふつつか》故か、此心の浅き故かと独り悔《くや》しゅう悩んで居《お》りましたに、あり難き今の仰せ、神様も御照覧あれ、辰めが一生はあなたにと熱き涙|吾《わが》衣物《きもの》を透《とお》せしは、そもや、嘘《うそ》なるべきか、新聞こそ当《あて》にならぬ者なれ、其《それ》を真《まこと》にして信《まこと》ある女房を疑いしは、我ながらあさましとは思うものゝ形なき事を記すべしとも思えず、見れば業平侯爵とやら、位|貴《たっと》く、姿うるわしく、才いみじきよし、エヽ妬《ねた》ましや、我《われ》位なく、姿美しからず、才もまた鈍ければ、較《くらべ》られては敵手《あいて》にあらず。扨《さて》こそ子爵が詞通《ことばどお》り、思想も発達せぬ生《なま》若い者の感情、都風の軽薄に流れて変りしに相違なきかと頻《しきり》に迷い沈みけるが思いかねてや一声|烈《はげ》しく、今ぞ知《しっ》たり移ろい易《やす》き女心、我を侯爵に見替《みかえ》て、汝《おのれ》一人の栄華を誇《ほこ》る、情《なさけ》なき仰せ、此《この》辰が。
アッと驚き振仰向《ふりあおむけ》ば、折柄《おりから》日は傾きかゝって夕栄《ゆうばえ》の空のみ外に明るく屋《や》の内|静《しずか》に、淋し気に立つ彫像|計《ばか》り。さりとては忌々《いまいま》し、一心乱れてあれかこれかの二途《ふたみち》に別れ、お辰が声を耳に聞《きき》しか、吉兵衛の意見ひし/\と中《あた》りて残念や、妄想《もうぞう》の影法師に馬鹿にされ、有《あり》もせぬ声まで聞し愚《おろか》さ、箇程《かほど》までに迷わせたるお辰め、汝《おのれ》も浮世の潮に漂う浮萍《うきくさ》のような定《さだめ》なき女と知らで天上の菩薩《ぼさつ》と誤り、勿体《もったい》なき光輪《ごこう》まで付《つけ》たる事口惜し、何処《いずこ》の業平《なりひら》なり癩病《なりんぼ》なり、勝手に縁組、勝手に楽《たのし》め。あまりの御言葉、定めなき
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