さゝか後世御安楽の御祈りをもつかまつるべきか。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
其三
頃は十月の末、ところは荒凉たる境なれば、見渡す限りの景色いともの淋しく、冬枯れ野辺を吹きすさむ風|蕭※[#二の字点、1−2−22]《せう/\》と衣裾《もすそ》にあたり、落葉は辿る径を埋めて踏む足ごとにかさこそと、小語《さゝや》くごとき声を発する中を※[#「足へん+禹」、第3水準1−92−38]※[#二の字点、1−2−22]然《くゝぜん》として歩む西行。衆聖中尊《しゆじやうちゆうそん》、世間之父《せけんしふ》、一切衆生《いつさいしゆじやう》、皆是吾子《かいぜごし》、深着世楽《しんぢやくせらく》、無有慧心《むうゑしん》、などと譬喩品《ひゆぼん》の偈《げ》を口の中にふつ/\と唱へ/\、従ふ影を友として漸やく山にさしかゝり、次第/\に分け登れば、力なき日はいつしか光り薄れて時雨空の雲の往来《ゆきき》定めなく、後山《こうざん》晴るゝ歟《か》と見れば前山忽まちに曇り、嵐に駆《か》られ霧に遮《さ》へられて、九折《つゞら》なる岨《そば》を伝ひ、過ぎ来し方さへ失ふ頃、前途《ゆくて》の路もおぼつかなきまで
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