かれなば松はひとりにならんとすらん
あら、心も無く軒端《のきば》の松を寂《さび》しき庵の友として眺めしほどに、憶ひぞ出でし松山の、浪の景色はさもあらばあれ、世の潮泡《しほなわ》の跡方なく成りまし玉ひし新院の御事胸に浮び来りて、あらぬさまにならせられ仁和寺《にんなじ》の北の院におはしましける時、ひそかに参りて畏くも御髪《みぐし》落させられたる御姿を、なく/\おぼろげながらに拝みたてまつりし其夜の月のいと明く、影もかはらで空に澄みたる情無かりし風情さへ、今|眼前《まのあたり》に見ゆるがごとし。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。実《げ》に人界《にんがい》不定《ふぢやう》のならひ、是非も無き御事とは申せ、想ひ奉《まつ》るもいとかしこし。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏阿弥陀仏。おもへば不思議や、長寛二年の秋八月廿四日は果敢なくも志渡《しど》にて崩《かく》れさせ玉ひし日と承はれば、月こそ異《かは》れ明日は恰も其日なり。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。いで御陵《みさゝき》のありと聞く白峯といふに明日は着き、御墓《おんしるし》の草をもはらひ、心の及ばむほどの御手向《おんたむ》けをもたてまつりて、い
前へ
次へ
全52ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング