はべ》るなり、扨も君を放ち遣りまゐらせて御心のまゝに家を出づるを得さしめ奉りし徃時《そのかみ》より、我が子を人に預けて世を捨てたる今に至るまで、いづれか世の常としては悲しきことの限りならざらん、別れまゐらせし歳は我が齢、僅に二十歳《はたち》を越えつるのみ、また幼児《いとけなき》を離せしときは其《そ》が六歳《むつつ》と申す愛度無《あどな》き折なり、老いて夫を先立つるにも泣きて泣き足る例《ためし》は聞かず、物言はぬ嬰児《みづこ》を失ひても心狂ふは母の情、それを行末長き齢に、君とは故も無くて別れまゐらせ、可愛き盛りに幼児《をさなき》を見棄てつる悲しさは如何ばかりと覚す、されど斯ばかりの悲しさをも、女の胸に堪へ堪へて鬼女蛇神のやうに過ぎ来つるは、我が悲みを悲とせで偏に君が歓喜《よろこび》を我が歓喜とすればなるを、別れまゐらせしより十余年の今になりて繰言も云ふもののやう思はれまゐらせたる拙さ情無さ、君は我がための知識となり玉ひぬれば、恨み侍らざるばかりか却て悦びこそ仕奉れ、彼世にてもあれ君に遇ひまゐらせなば君の家を出で玉ひし後の我が上をも語りまゐらせて、能くぞ浮世を思ひ切りぬるとの御言葉をも得ん
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