おはしませし御身の、一坏《いつぱい》の土あさましく頑石叢棘《ぐわんせきさうきよく》の下《もと》に神隠れさせ玉ひて、飛鳥《ひてう》音《ね》を遺し麋鹿《びろく》痕《あと》を印する他には誰一人問ひまゐらするものもなき、かゝる辺土の山間《やまあひ》に物さびしく眠らせらるゝ御いたはしさ。ありし往時《そのかみ》、玉の御座《みくら》に大政《おほまつりごと》おごそかにきこしめさせ玉ひし頃は、三公九|卿《けい》首《かうべ》を俛《た》れ百官諸司袂をつらねて恐れかしこみ、弓箭《きうぜん》の武夫《つはもの》伎能の士、あらそつて君がため心を傾ぶけ操を励まし、幸に慈愍《じみん》の御まなじりにもかゝり聊か勧賞の御言葉にもあづからむには、火をも踏み水にも没《い》り、生命を塵芥《ぢんかい》よりも軽く捨てむと競ひあへりしも、今かくなり玉ひては皆対岸の人|異舟《いしう》の客《かく》となりて、半巻の経を誦し一句の偈《げ》をすゝめたてまつる者だになし。世情は常に眼前に着《ぢやく》して走り天理は多く背後に見《あら》はれ来るものなれば、千鐘の禄も仙化《せんげ》の後には匹夫の情をだに致さする能はず、狗馬《くば》たちまちに恩を忘るゝと
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