て俗事に遠ざからんかた賢かるべしとて、そこに一日、かしこに二日と、此御仏彼御仏の別ちも無くそれ/\の御堂を拝み巡りては、或《ある》は祈願を籠めて参籠の誠を致し、或は和歌を奉りて讃歎の意を表し来りけるが、仏天の御思召にも協ひけん聊か冥加も有りとおぼしく、幸に道心のほかの他心《あだしごゝろ》も起さず勝縁を妨ぐる魔縁にも遇はで、終に今日に及ぶを得たり。既徃の誠に欣ぶべきに将来の猶頼まゝほしく、長谷の御寺の観世音菩薩の御前に今宵は心ゆくほど法施《ほふせ》をも奉らんと立出でたるが、夜※[#二の字点、1−2−22]に霜は募りて樹※[#二の字点、1−2−22]に紅は増す神無月《かんなづき》の空のやゝ寒く、夕日力無く舂《うすつ》きて、晩《おく》れし百舌の声のみ残る、暮方のあはれさの身に浸むことかな。見れば路の辺の草のいろ/\、其とも分かず皆いづれも同じやうに枯れ果てゝ崩折《くづほ》れ偃《ふ》せり。珍らしからぬ冬野のさま、取り出でゝ云ふべくはあらねども、折からの我が懐《おもひ》に合ふところあり。情《こゝろ》を結び詞《ことば》を束ねて、歌とも成らば成して見ん、おゝそれよ、さま/″\に花咲きたりと見し野辺のおなじ色にも霜がれにけり。嗚呼我人とも終には如是《かく》、男女美醜の別《わかち》も無く同じ色にと霜枯れんに、何の翡翠の髪の状《さま》、花の笑ひの顔《かんばせ》か有らん。まして夢を彩る五欲の歓楽《たのしみ》、幻を織る四季の遊娯《あそび》、いづれか虚妄《いつはり》ならざらん。たゞ勤むべきは菩提の道、南無仏、南無仏、と観じ捨てゝ、西行独り路を急ぎぬ。

       其二

 弓張月の漸う光りて、入相《いりあひ》の鐘の音も収まる頃、西行は長谷寺《はせでら》に着きけるが、問ひ驚かすべき法《のり》の友の無きにはあらねど問ひも寄らで、観音堂に参り上りぬ。さなきだに梢透きたる樹※[#二の字点、1−2−22]を嬲《なぶ》りて夜の嵐の誘へば、はら/\と散る紅葉なんどの空に狂ひて吹き入れられつ、法衣《ころも》の袖にかゝるもあはれに、又仏前の御灯明《みあかし》の目瞬《めはじき》しつゝ万般《よろづ》のものの黒み渡れるが中に、いと幽なる光を放つも趣きあり。法華経の品《ほん》第二十五を声低う誦するに、何となく平時《つね》よりは心も締まりて身に浸みわたる思ひの為れば、猶誠を籠めて誦し行くに天も静けく地も静けく、人も
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