最も勝れたりとなす。木片の薬師、銅塊《どうくわい》の弥陀《みだ》は、皆これ我が心を呼ぶの設け、崇《あが》め尊まぬは烏滸《をこ》なるべく、高野の蘭若《らんにや》、比叡《ひえ》の仏刹《ぶつさつ》、いづれか道の念を励まさゞらむ、参り詣《いた》らざるは愚魯《おろか》なるべし。古の人の、麻の袂を山おろしの風に翻し、法衣《ころも》の裾を野路の露に染めつゝ、東西に流浪し南北に行きかひて、幾干《いくそ》の坂に谷に走り疲れながら猶辛しともせざるものは、心を霊地の霊気に涵《ひた》し念を浄業の浄味に育みて、正覚の暁を期すればなり。鏡に対《むか》ひては髪の乱れたるを愧《は》ぢ、金《こがね》を懐にすれば慾の亢《たかぶ》るを致す習ひ、善くも悪くも其境に因り其機に随ひて凡夫の思惟《しゆゐ》は転ずるなれば、たゞ後の世を思ふものは眼に仏菩薩の尊容を仰ぎ、口に経陀羅尼《きやうだらに》の法文を誦《じゆ》して、夢にも現にも市※[#「廛+おおざと」、第3水準1−92−84]《してん》栄花《えいぐわ》の巷に立入ること無く、朝も夕も山林|閑寂《かんじやく》の郷に行ひ済ましてあるべきなり。首《かうべ》を回らせば徃時をかしや、世の春秋に交はりて花には喜び月には悲み、由無き七情の徃来に泣きみ笑ひみ過ごしゝが、思ひたちぬる墨染の衣を纏ひしより今は既《はや》、指を※[#「てへん+婁」、123−下−27]《かゞな》ふれば十《と》あまり三歳《みとせ》に及びて秋も暮れたり。修行の年も漸く積もりぬ、身もまた初老に近づきぬ。流石心も澄み渡りて乱るゝことも少くなり、旧縁は漸く去り尽して胸に纏《まつ》はる雲も無し。忽然《こつねん》として其初一人来りし此裟婆に、今は孑然《げつぜん》として一人立つ。待つは機の熟して果《このみ》の落つる我が命終《みやうじゆう》の時のみなり。あら快《こゝろよ》の今の身よ、氷雨降るとも雪降るとも、憂を知らぬ雲の外に嘯《うそぶ》き立てる心地して、浮世の人の厭ふ冬さへ却つてなか/\をかしと見る、此の我が思ひの長閑さは空飛ぶ禽もたゞならず。されど禅悦《ぜんえつ》に着《ぢやく》するも亦是修道の過失《あやまち》と聞けば、ひとり一室に籠り居て驕慢の念を萠さんよりは、歩《あゆみ》を処※[#二の字点、1−2−22]の霊地に運びて寺※[#二の字点、1−2−22]の御仏をも拝み奉り、勝縁《しようえん》を結びて魔縁を斥け、仏事に勤め
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