すいもの》いとうまし、海の景色も珍《めず》らし。
十九日、夜来の大雨ようよう勢衰《いきおいおとろ》えたるに、今日は待ちに待ちたる松島見んとて勇気も日頃にましぬ。いでやと毛布《ケット》深くかぶりて、えいさえいさと高城にさしかかれば早や海原《うなばら》も見ゆるに、ひた走りして、ついに五大堂|瑞岩寺《ずいがんじ》渡月橋《とげつきょう》等うちめぐりぬ。乗合い船にのらんとするに、あやにくに客一人もなし。ぜひなく財布《さいふ》のそこをはたきて船を雇《やと》えば、ひきちがえて客一人あり、いまいましきことかぎりなし。されどおもしろき景色にめでて煩悩《ぼんのう》も軽きはいとよし。松島の景といえばただただ、松しまやああまつしまやまつしまやと古人もいいしのみとかや、一ツ一ツやがてくれけり千松島とつらねし技倆《ぎりょう》にては知らぬこと、われわれにては鉛筆《えんぴつ》の一ダース二ダースつかいてもこの景色をいい尽し得べしともおもえず。東西南北、前後左右、あるいは大あるいは小、高きあり、ひくきあり、みの亀《がめ》の尾《お》ひきたるごとき者、臥《ふ》したる牛の首あげたるごとき者あり、月島星島|桂島《かつらじま》、踞《きょ》せるがごときが布袋島《ほていじま》なら立てるごときは毘沙門島《びしゃもんじま》にや、勝手に舟子《かこ》が云いちらす名も相応に多かるべし。松吟庵《しょうぎんあん》は閑《かん》にして俳士《はいし》髭《ひげ》を撚《ひね》るところ、五大堂は寂《さ》びて禅僧《ぜんそう》尻《しり》をすゆるによし。いわんやまたこの時金風|淅々《せきせき》として天に亮々《りょうりょう》たる琴声《きんせい》を聞き、細雨|霏々《ひひ》として袂《たもと》に滴々《てきてき》たる翠露《すいろ》のかかるをや。過《すぐ》る者は送るがごとく、来《きた》るものは迎《むか》うるに似たり。赤き岸、白き渚《なぎさ》あれば、黒き岩、黄なる崖《がけ》あり。子美太白《しびたいはく》の才、東坡柳州《とうばりゅうしゅう》の筆にあらずはいかむかこの光景を捕捉《ほそく》しえん。さてそれより塩竈《しおがま》神社にもうでて、もうこの碑《ひ》、壺《つぼ》の碑《いしぶみ》前を過ぎ、芭蕉《ばしょう》の辻《つじ》につき、青葉の名城は日暮れたれば明日の見物となすべきつもりにて、知る人の許《もと》に行きける。しおがまにてただの一銭となりければ、そを神にたてまつ
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