に奥州《おうしゅう》にての名勝なり。
十七日、朝早く起き出でたるに足|傷《いた》みて立つこと叶《かな》わず、心を決して車に乗じて馳《は》せたり。郡山《こおりやま》、好地《こうち》、花巻、黒沢尻《くろさわじり》、金が崎、水沢、前沢を歴《へ》てようやく一ノ関に着す。この日行程二十四里なり。大町なんど相応の賑いなり。
十八日、朝霧《あさぎり》いと深し。未明|狐禅寺《こぜんじ》に到り、岩手丸にて北上《きたかみ》を下る。両岸景色おもしろし。いわゆる一山|飛《とん》で一山来るとも云うべき景にて、眼|忙《いそが》しく心ひまなく、句も詩もなきも口惜《くちお》しく、淀《よど》の川下りの弥次よりは遥かに劣れるも、さすがに弥次よりは高き情をもてる故なるべしとは負惜《まけおし》みなり。登米《とよま》を過ぐる頃、女の児《こ》餅《もち》をうりに来る。いくらぞと問えば三文と答う。三毛かと問えばはいと云い、三厘かといえばまたはいと云う。なおくどく問えば怫然《ふつぜん》として、面ふくらかして去る。しばらくして石の巻に着す。それより運河に添うて野蒜《のびる》に向いぬ。足はまた腫《は》れ上りて、ひとあしごとに剣をふむごとし。苦しさ耐《た》えがたけれど、銭はなくなる道なお遠し、勤《ごん》という修行、忍《にん》と云う観念はこの時の入用なりと、歯を切《くいしば》ってすすむに、やがて草鞋《わらじ》のそこ抜けぬ。小石原にていよいよ堪《た》え難きに、雨降り来り日暮るるになんなんたり。やむをえず負える靴《くつ》をとりおろして穿《うが》ち歩むに、一ツ家のわらじさげたるを見当り、うれしやと立寄り一ツ求めて十銭札を与うるに取らず、通用は近日に廃《はい》せらるる者ゆえ厭《いと》い嫌《きら》いて、この村にては通用ならぬよしの断りも無理ならねど、事情の困難を話してたのむに、いじわる婆《ばばあ》めさらに聞き入れず。なくなく買わずにまた五六町すぎて、さても旅は悲しき者とおもいしりぬ。鴻雁《こうがん》翔天《しょうてん》の翼《つばさ》あれども栩々《くく》の捷《しょう》なく、丈夫《じょうふ》千里の才あって里閭《りりょ》に栄|少《すくな》し、十銭時にあわず銅貨にいやしめらるなぞと、むずかしき愚痴《ぐち》の出所はこんな者とお気が付かれたり。ようやくある家にて草鞋を買いえて勇を奮《ふる》い、八時半頃|野蒜《のびる》につきぬ。白魚の子の吸物《
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