に着く。
おのずからなる石の文理《あや》の尉姥鶴亀なんどのように見ゆるよしにて名高き高砂石といえるは、荒川のここの村に添いて流るるあたりの岸にありと聞きたれば、昼餉《ひるげ》食《とう》べにとて立寄りたる家の老媼《おうな》をとらえて問い質《ただ》すに、この村今は赤痢《せきり》にかかるもの多ければ、年若く壮《さか》んなるものどもはそのために奔《はし》り廻りて暇なく、かつはまた高砂石見せまいらする導《しるべ》せんとて川中に下り立ち水に浸りなどせんは病を惹《ひ》くおそれもあれば、何人か敢《あえ》て案内しまいらせん、ましてその路に当りて仮の病院の建てられつれば、誰人も傍《かたえ》を過《よ》ぎらんをだに忌わしと思うべし、道しるべせん男得たまうべきたよりはなしとおぼせという。要なき時疫《えやみ》の恨めしけれど是非《ぜひ》なく、なおかにかくとその石のさまなど問うに、強て見るべきほどのものとも思われねば已《や》む。今日は市《いち》立つ日とて、秤《はかり》を腰に算盤《そろばん》を懐にしたる人々のそこここに行きかい、糸繭の売買《うりかい》に声かしましく罵《ののし》り叫《わめ》く。文化文政の頃に成りたる風土
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