淡島寒月のこと
幸田露伴

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)看過《みすご》して

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)磨※[#「龍/石」、第3水準1−89−17]に

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)つか/\と近寄つて
−−

 吾が友といつては少し不遜に當るかも知れないが、先づ友達といふことにして、淡島寒月といふ人は實に稀有な人であつた。やゝもすれば畸人の稱を與へたがる者もあるが、畸人でも何でもない、むしろ常識の圓滿に驚くばかり發達した人で、そして徹底的に世俗の眞實が何樣なものであるかといふことを知盡した人であつた。しかも多くの人は苦勞をしたり困難に出會つたり、痛い思や辛い目を見たりしてから、はじめて浮世の鹽辛さを悟るのであるが、別に人生の磨※[#「龍/石」、第3水準1−89−17]に逢つたといふこともないらしい生活を經て來て、夙く然樣いふ境地に到り得てゐたのであつたのは、裏面の消息はもとより知らぬが、蓋し天稟の聰明さが然らしめたのであらう。
 それで何人に對しても極めて平等に、また温和に、支那流にいつたら、いはゆる一團の和氣を以て人に接した人であつた。かりそめにも人を強ひたり人を壓したりするやうなことはその氣味さへ見せぬ人であつた。勿論自分も人に干渉されることや、また強ひられるやうなことは甚だ好まなかつた。どこまでも他を一個の人として存在させ、自分も一個の人として立ち、そして同じ日月の下にこの生を了せんとする、といふ調子をもつて終始してゐた。で、交際も餘り深入りすること無しに淡※[#二の字点、1−2−22]と淺い川の水が清く流るゝやうに濟ませて行くといふ人であつた。そのあつさりした風格は或種類の人には冷淡だなど評されもしたが、よし冷淡であつたにしても、それはたゞ相互の自由を尊重するところから出たものであつた。天成の自由人であつたのであり、且善良であつたのであり、そして自分は自分の趣味を自分の生命としてゐたのであつた。人に迷惑を掛けないで、自分でおとなしく遊んでゐるのに越したことは無い、といふのがその欺かざる信向であつた。
 ところでそのおとなしく遊んでゐるのが、泥繪具で汚らしい拙いやうな畫を寫
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング