鼠頭魚釣り
幸田露伴
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)一ト風異《かは》りて
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)其|効《かひ》も
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、底本のページと行数)
(例)弱※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、162−2]しくして、
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)川にてはほと/\獲らるゝ
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
鼠頭魚は即ちきすなり。其頭の形いとよく鼠のあたまに肖たるを以て、支那にて鼠頭魚とは称ふるならん。俗に鱚の字を以てきすと訓ず。鱚の字は字典などにも見えず、其拠るところを知らず。蓋し鮎鰯鰰等の字と同じく我が邦人の製にかゝるものにて、喜の字にきすのきの音あるに縁りて以て創め作りしなるべし。
鼠頭魚に二種あり。青鼠頭魚といひ、白鼠頭魚といふ。青鼠頭魚は白鼠頭魚より形大にして、其色蒼みを帯び、其性もやゝ強きが如し。青鼠頭魚は川に産し、春の末海底の沙地に子を産む、と大槻氏の言海には見えたれど、如何にや、確に知らず。海底の沙地に生まるゝものならば海に産するにはあらずや、将また川に産すとは川にて人に獲らるゝものなりとの事ならば、青鼠頭魚といふものの川にてはほと/\獲らるゝこと無きを如何にせん。大槻氏の指すところのものは東京近くにて青鼠頭魚といふものと異るにやあらん、いぶかし。凡そ東京近くにて青鼠頭魚といふものは、春の末夏の初頃より数十日の間、内海の底浅く沙平らかなる地にて漁るものの釣に上るものを指して称へ、また白鼠頭魚とは青鼠頭魚の漁期より一ト月も後れて釣れ初むるものをいふ。青鼠頭魚に比ぶれば白鼠頭魚はすべて弱※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、162−2]しくして、喩へば彼は男の如く此は女の如しとも云ひつべし。
鼠頭魚釣りは、魚釣の遊びの中にても一ト風異《かは》りて興ある遊びなり。且つ又鼠頭魚は、魚の中にても姿清らに見る眼厭はしからず、特に鱗に粘《ぬめり》無く身に腥気《なまぐさけ》少ければ、仮令其味美ならずとも好ましかるべき魚なるに、まして其味さへ膩濃《あぶらこ》きに過ぎずして而も淡きにも失せず、まことに食膳の佳品として待たるべきものなれば、これが釣りの興も一トしほ深かるべき道理《ことわり》ならずや。
今年五月の中の頃、鼠頭魚釣りの遊びをせんと思ひ立ちて、弟を柳橋のほとりの吾妻屋といふ船宿に遣り、来む二十一日の日曜には舟を虚《むなし》うして吾等を待てと堅く約束を結ばしめつ、ひたすらに其日の至るを心楽みにして、平常《つね》のおのれが為すべき業《わざ》を為しながら一日《ひとひ》※※[#「※」は2字とも「二の字点」、第3水準1−2−22、162−9]と日を送りけり。
待つには長き日も立ちて、明日はいよ/\其日となりたる二十日の朝、聊か事ありて浅草まで行きたる帰るさ、不図心づきて明日の遊びの用の釣の具一ト揃へを購《か》はんと思ひしかば、二天門前に立寄りたり。こは家に釣の具の備への無きにはあらねど、猶ほ良きものを新に買ひ調へて携へ行かんには必ず利多かるべしと思ひてなり。書を能くするものは筆を撰まずとは動《やゝ》もすれば人の言ふところにして、下手の道具詮議とは、まことによく拙きありさまを罵り尽したる語《ことば》にはあれど、曲りたる矢にては※[#「※」は「はねかんむり+廾」、第3水準1−90−29、162−15]《げい》も射て中てんこと難かるべく、飛騨の大匠《たくみ》も鰹節小刀《かつぶしこがたな》のみにては細工に困ずべし。されば善く射るものは矢を爪遣《つまや》りすること多く、美しく細工するものは刀を礪ぐこと頻りなり。如何ぞ書を能くするものの筆を撰まずといふことあらん、また如何ぞ下手のみ道具を詮議せん。知る可し、筆を撰まずといふは、たゞ書を能くするものの自在を称したるの言にして、書を能くするもの必ずしも筆を択まずといふにもあらず、又下手の道具詮議といふは、固より道具詮議をなすもの即ち下手なりといふにもあらず、下手のみ道具詮議をなすといふにもあらで、拙き人の自己《おの》が道具の精粗利鈍を疑ふやうなるをりを指して云へる語なることを。心の底浅くして鼻の端《さき》のみ賢き人々、多くは右の二つの諺を引きて、其諺の理に協へるや協はざるやをも考へで、筆を択み道具を論ずるなど重※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、163−6]しげに事を做すものを嘲るは、世の常の習ひながら、忌※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、163−6]しき我が邦人の悪《あし》き癖なり。卒然として事を做して赫然として功有らんことを欲するは、卑き男の痴《しれ》たる望みならずや。粗心浮気、筆をも択まず道具をも詮議せざるほどの事にて、能く何をか為し得ん。筆択むべし、道具詮議すべし、魚を釣らんとせば先づ釣の具を精《よ》くすべし。まして魚を釣り小禽を狩るが如き遊び楽みの上にては、竿の調子、綸《いと》の性質、鉤の形などを論ずるも、実は遊びの中にして、弾丸《たま》と火薬との量の比例、火薬の性質、銃の重さの分配の状《さま》、銃床の長さ、銃の式などを論ずるも、また実は楽みの中なるをや。嘗て釣りの道に精く通ぜる人※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、163−12]の道具を論ずるを聞くに、甲も中田といひ、乙も中田といひ、丙もまた中田といひて、苟も道具を論ずるに当りては中田の名を云ひ出でざること無き程なれば、名の下果して虚しからずば中田といふもの必ず良き品を作り出すなるべし、おのれもまた機《をり》を得て購《か》はんと、其家の在り処《か》など予て問ひ尋ね置きたりしかば、直ちにそれかと覚しき店を見出して、此家《こゝ》にこそあれと突《つ》と入りぬ。
名の聞こえたる家のことなれば、店つきなども美しく売るところの品※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、163−17]数多く飾り立てられたるならんとは誰人も先づ想ふべけれど、打見たるところにては品物なども眼に入らぬほど少く、店と云はんよりは細工場と云ふべきさまなるも、深く蔵して無きが如くすといふ語さへ思ひ合はされてゆかし。主人《あるじ》に打向ひて、鼠頭魚釣りに用うべき竿を得たしと云へば、日をさへ仮し玉はば好み玉はんまゝ如何様にも作りまゐらすべけれど、今直ちに欲しとの仰せならば参らすべきはたゞ二本よりほか無し、其中にて好きかたを択み取りたまふべしと答ふ。如何で然《さ》は竿の数乏しきやと問へば、主人の子なるべし年若くして清らなる男、随つて成れば随つて人の需め去るまゝ常に是の如し、御心に飽くほどのものを得玉はんとならば、極めて細《こまか》に兎せよ角せよと命じたまへといふ。良工の家なれば滞貨無きも宜《むべ》なり、特に我が好めるやうに作らせんは甚だ可なるに似たれど、実は我が知れるところよりも此家《ここ》の主人の知れる所の方深くして博かるべきは云ふまでも無きに、我は顔して浅はかなる好みを云ひ出でんも羞かし、且は日も逼りたれば是は寧ろ此家の主人が良しと思ひて作り置けるものを良しとして購《か》はんかた、※[#「※」は「來+のぶん+したごころ」、第3水準2−12−72、164−11]《なまじ》に賢立《かしこだ》てして我が好みのまゝに作らせんよりは却て可かるべしと思ひしかば、いや、我猶釣の道に昧ければ我が好みを云ふべくもあらず、たゞ此家《こゝ》の品の必ず佳かるべきを知りて来れるものなれば、一も二も無く此家の主人の君の言に従ひて、その良しとするものを良しとし其の良からずとするものを良からずとせん、二本ありとならば其の一本を択みて与へよ、価の高き低きは問ふところにあらずと云ひ出づれば、主人も聊か笑を含みて、然《さ》らば此の方を召し玉へ、我が口よりは如何で誇らん、只眼あらん人は必ず此竿を知るべし、君もまた用ゐ玉ひて後、価の君を欺かざるを知り玉ふべしと云ひつゝ、一本の竿を我が手にわたす。受け取りてつく/″\見るに、竿に具ふべきかど/\の中にても重きかどの一つなる節※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、165−1]の配りもいとよく斉ひて、本より末に至るに随ひ漸く其間|蹙《しゞ》まり、竹の育ちすらりとして捩れも無く癖も無く、特に穂竿の剛《かた》からず弱からずして靭《しな》やかに能く耐ふる力の八方に同じきなど、用ゐざるに既《はや》其|効《かひ》もおもひ遣らるゝまでなり。嬉しきはそれのみならず、竿の長さは鼠頭魚釣りに用うべき竿の大概《おほよそ》の定めの長さ一丈一尺だけ有りながら、其重さの旧《もと》より用ゐしものに比べてはいと軽きもまた好ましき一つなれば、我が心全く足りて之を購《か》ひつ、次《ついで》を以て我が知らぬ新しき事もやあらんと装置《しかけ》をも一ト揃購ひぬ。
綸、天蚕糸《てぐす》など異りたること無し。鉤もまた昔ながらの狐形と袖形となり。たゞ鉛錘《おもり》は近来《ちかごろ》の考に成りたる由にて、「にっける」の薄板を被《き》せたれば光り輝きて美し。さては外国《とつくに》の人の誤つて銀の匙を水に落せし時魚の集り来りしを見て考へつきしといふ、光りあるものの付きたる鉤と同じく、これも光りに寄る魚の性に基づきたるなるべしなんど思ひつゝ、家に帰る路すがら、雲立ちたる空を仰ぎて、今はたゞ明日の雨ふらざらんことをのみ祈りける。
其日昼過ぐる頃、弟は学校より帰り来りて、おのれが釣竿、装置《しかけ》など検めゐしが、見おぼえぬ竿のあるを見出して、此《こ》は兄上の新に購《か》ひ給ひしにやと問ふ。然《さ》なりと答ふれば、何処《いづこ》にて求め給ひしやと云ふ。汝《そなた》が嘗て我に誇り示したる鮒釣の竿を購《か》ひし家にてと云へば、弟は羨ましげに眼を光らせて左視右視《とみかうみ》暫らく打護り居けるが、やがて大きなる声して、良き竿を購《か》ひ給ひしかな、かくては明日の釣りに兄上最も多く魚を獲給ふべし、我等は遠く及ぶべからず、されど其《そ》は兄上の釣り給ふこと我等より巧みなるがためにはあらず、竿の力、装置《しかけ》の力の為ならんのみ、我等にも是の如き竿と装置《しかけ》とだにあらば、やはか兄上に劣るべきと、喞言がましく云ひ罵る。然《さ》ばかり明日の釣りに負けまじと思はば汝も新に良き竿を求めよかしと云へば、雀躍《こをどり》して立出で行きしが、時経て帰り来りしを見れば、おもしろからぬ色をなせり。如何にせしぞと問ふに、売りまゐらすべきもの無ければ七八日過ぎて後来玉へと彼の家にて云はれたりと、云ふ声さへもやゝ沈めり。然《さ》ありしか弟、さて釣竿買はで帰りしかと云へば、力無げに、然なりと云ふ。望を失ひて勢抜け、頭を垂れて物思へるさま、傍より観ていと哀れなれば、然《さ》のみ心を屈するにも及ばじ、釣竿売る家はかしこのみかは、茶屋町か材木町かとおぼえしが吾妻橋を渡りて左に折るゝあたりに中田といふ家あり、また広徳寺前には我が幼き頃より知れる藤作といへる名高き店あり、特に藤作は世の聞え人の用ゐも宜し、彼家《かしこ》に至らば良き品を得んこと疑ひあらじ、同じ業《わざ》をするものは相忌み相競ふものなれば、彼も励み此も励みて互に劣らじとする習ひなり、藤作にはまた藤作の妙無きことあらじと諭せば、やうやく心に勇みの湧きしにや、さらばとて復家を立出でぬ。
時経れど弟は帰り来らず。朝より雲おぼつかなく迷ひ居し天《そら》は、遂に暮るゝ頃より雨を墜し来ぬ。此幾日といふもの楽みにして待ちに待ちたる明日の若《もし》雨ふらんには如何にかせんと、檐の玉水の音を聞くさへ物憂くおぼえて、幾度か椽端《えんばな》に出で雲のたゝずまひを仰ぎ見て打囁《うちつぶや》きしが、程経て雨の小止みしける時、弟はやうやく帰り来りぬ。此度はさきに帰りし時とは違ひて、家に入るや否や大きなる声を揚げて、兄上、はや明日の釣りに兄上には必ず負けまじ、兄上三十尾を獲たまはば我四十尾を獲ん、兄上五十尾を獲玉はば我六十尾を獲ん、兄上
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング