主人はまくり手《で》をしながら茹蛸《ゆでだこ》のようになって帰って来た。縁に花蓙《はなござ》が敷《し》いてある、提煙草盆《さげたばこぼん》が出ている。ゆったりと坐《すわ》って烟草《たばこ》を二三服ふかしているうちに、黒塗《くろぬり》の膳は主人の前に据《す》えられた。水色の天具帖《てんぐじょう》で張られた籠洋燈《かごランプ》は坐敷《ざしき》の中に置かれている。ほどよい位置に吊《つる》された岐阜提灯《ぎふぢょうちん》は涼《すず》しげな光りを放っている。
 庭は一隅《ひとすみ》の梧桐《あおぎり》の繁みから次第に暮れて来て、ひょろ松《まつ》檜葉《ひば》などに滴《したた》る水珠《みずたま》は夕立の後かと見紛《みまご》うばかりで、その濡色《ぬれいろ》に夕月の光の薄く映ずるのは何とも云《い》えぬすがすがしさを添《そ》えている。主人は庭を渡《わた》る微風《そよかぜ》に袂《たもと》を吹かせながら、おのれの労働《ほねおり》が為《つく》り出した快い結果を極めて満足しながら味わっている。
 ところへ細君は小形の出雲焼《いずもやき》の燗徳利《かんどくり》を持って来た。主人に対《むか》って坐って、一つ酌《しゃく》
前へ 次へ
全21ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング